必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の44 ブランドを語った偉人たち〜藤岡和賀夫 ②〜

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左:大阪万博太陽の塔 右:富士ゼロックス TVCM

 

 

前稿に続き稀代のプロデューサー故 藤岡和賀夫氏について書き進めたいと思います。氏の仕事で私の記憶に強く残っているのは何と言ってもJR(当時国鉄)のDiscover Japanキャンペーンと富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」の二つの広告シリーズです。


これらは1970年、今から半世紀も前になる時代の広告なんですね。1970年というのはどんな時代だったか。今年企業に新卒入社した人たちのお父さん、お母さんが生まれた頃じゃないでしょうか。


彼らから見れば、どんだけ前なんだって思うでしょう。どんだけ〜!☺️世はまだバブル経済のはるか前、教科書に書いてある「高度成長時代」のど真ん中ですね。


バブルに向けての一本道。大阪万博が開催されたのが1970年です。高度成長下にある国って、オリンピック、次に万国博覧会をやるんですね。悲願でしょう。


中国がそうでした。北京オリンピックが2008年。世界に向けて高らかに中華人民共和国ここにありと世界に発信した訳です。そしてわずか2年後、2010年の上海万博。大国中国の真骨頂ご覧あれって感じです。

 

韓国も1988年にソウルオリンピックを開催。1987年に軍事政権から民主化したことを、盧武鉉大統領が世界にアピールしました。


話を戻します。1970年というのは日本がまさにものづくり&輸出で世界を席巻している鼻息の荒い、興奮状態☺️の真っ最中です。


利休の至ったワビサビとは真逆、むしろ豊臣秀吉の金の茶室イェ〜イの世界。そんなときに「これちょっとおかしくね?」と疑義をとなえたキャンペーンを仕掛けたのが藤岡和賀夫さんなんです。


この時代に正反対のことを言う人はまずいなかったでしょう。経済界から見たら変人にしか見えなかったかもしれません。


1989年、ほぼバブル経済が破綻する直前には、時任三郎が出演するスタミナドリンクのキャンペーンで「24時間戦えますか?」と高らかに吠えたCMが話題になりました。


まぁこのCMはどちらかと言うと自虐的諧謔CMだったと思いますが、これが終焉間近として、大阪万博のあった1970年から更に20年間の長きに渡って日本は経済最優先を旗頭に猪突猛進したわけです。


その興奮の坩堝の中、「ちょっと変じゃね?」と感じた自身の気持ちを氏は著書「現代軍師学心得」に書いています。以下要約です。

 

高度成長路線下、皆が我が世の春を謳歌していて、大阪万博はその繁栄の象徴だった。

一方でそれまでは広告主が技術の優劣を競い合っていた広告は、商品が皆高性能、高品質になったために、差別化ができなくなった。

仕方なく広告は表現自体の差別化に向かうことになる。これがクリエイティブ志向であり、「物ばなれ広告」の背景である。

物ばなれ広告は商品自体についてではなく、表現自体への人々の好感、共感を促した。当時私がとなえた「脱広告」、De-advertisingの考え方の原点である。

 

広告のあり方について、このような自問を続けていた藤岡さんは、当時担当していた富士ゼロックスの小林宣伝部長*1にかねてより温めていた考えを提言します。


それが「モーレツからビューティフル」というキャンペーン・コンセプトの提案でした。その提案の経緯を氏は同じ著書でこのように書いています。要約します。


ある日、その頃私が担当していた富士ゼロックスの宣伝部長の小林さんに、折に触れて話をしていた「モーレツからビューティフル」という考えを富士ゼロックスが提言しては?と提案した。当時はモーレツ・ブームの最中。でもこれは違う、モーレツだけが人の生き方なんておかしい。その犠牲になっている人間らしい生き方があるはずだ。それでモーレツの対極にある考えの言葉探しをした。

ビューティフルというのは、美醜ではなく、モーレツへのアンチテーゼとして、氏が巡り合っコンセプト・ワードだったんですね。


ビューティフルが内包する、より深く人間的な意味をすくいとったわけです。凄いひとです、藤岡さん。富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」TVCM、今でも記憶が鮮明です。加藤和彦さんが独特のファッションに身を包み、「Beafutiful」と書かれた紙を抱えて銀座通りを歩いている。。。ただそれだけ。エンドカットに「モーレツからビューティフルへ。ゼロックスからの提案。」


びっくりしました。商品名連呼のCMの洪水の中で、何も商品について語らないCMは「何じゃこれは?」と当時コピーに無縁だった中学生の私を驚かせたんです。サディスティック・ミカ・バンドを結成する一年前。加藤和彦さん格好よかった。
  
とにかく格好良くて、ゼロックスって凄く新しい考え方をする革新的な会社なんだろうなぁ、という印象でした。


特に若い世代(当時私も若かったんです)に強い印象を与えました。


この翌年、富士ゼロックスは大学生の希望就職先ベストテンに入る人気企業になった由。さもありなん。


富士ゼロックスに提案した氏が脱広告、De-advertisingと呼んだ、商品のfunctional benefitに触れない、情緒的な訴求に終始するアプローチ、これってまさにブランディングの一里塚なんです。

ブランディングって、USP*2広告の先にある、USPと同一ベクトル線上にある情緒的価値に昇華したコンセプトです。De-advertisingではなくて、Beyond-advertisingと言ったほうが誤解を招かないと思うんです。

  


脱広告、De-advertisingと言ったために、経済人・企業人からは相当な反発があったと思います。広告はアートじゃない、商品を売るためにやるのであって、コピーライターの自己満足のためにやるんじゃない!という意見は何百回も聞きました。

  


これは氏のいう「クリエイティブ志向」に代表される位置づけが、意図せず生んでしまう誤解だと思います。

  


モノ・サービスが売れ続ける、sustainable growthを担保するためにこそ、Beyond-advertisingが必要なんです。「広告のその先へ」ということですよね。いわば広告の最終形態、超USP広告なんです。

  

藤岡氏はその類稀なる時代の流れや人間性への嗅覚の鋭さで、無自覚的に超USPの多くのRe-brandingを仕掛けた偉人だと、私は確信します。この話、次稿に続けます。

*1:小林陽太郎。1933-2015。日本の実業家。富士ゼロックス元取締役会長、経済同友会元代表幹事

*2:マーケティング用語。Unique Selling Propositionの略。商品のもつ独自の差別化された強みを提示訴求すること。