「私には夢がある 2016年東京が変わる」*1という本があります。藤岡和賀夫さんが2009年に上梓した本です。これって、言ってみるならオリンピック誘致を機に東京のリブランディングをという提案だったんです。
2016年東京オリンピック誘致を当時の石原都知事がリーダーシップを取って行い、2009年というのはまさにIOCが開催地を決定する年でした。この本が出版されたのは2009年10月30日。ご存知の通り2016年オリンピックの開催地は結局ブラジルのリオデジャネイロになりましたが、皮肉なことにIOC総会がこれを決定したのは2009年の10月2日だったんです。本が店頭に並んだそのときには東京敗退がニュースになっていたんですね。
首都機能分散論というのがあって、これは戦後東京が焼け野原になったのを機に、東京に集中する立法、行政、司法機能を東京圏外に移転しようという構想でした。1960年当時議論を牽引していた河野一郎*2建設大臣が急死して、移転論は霧散してしまいました。
そして時代ははるかに下って1980年代、バブル景気で東京の地下が急騰したことで首都機能移転論が再浮上、1990年には衆参両院で首都機能移転を検討する基本方針が決まりました。
首都機能移転論は、その後折に触れて必要が叫ばれ、浮上しては霧散を繰り返します。
1995年のサリン事件や阪神淡路大震災で、テロや自然災害への人口集中都市の脆弱さが認識されて、分散移転論が白熱しました。2011年に起きた東日本大震災は、東京都内でも帰宅困難者を発生させ、東京に直下型地震が来たらどうなるのかと、いよいよ分散移転は不可避の事と盛んに語られました。
災害大国日本、この首都機能分散論の考えはとてもリスクヘッジの意味で合理的と思います。
しかしながら。
永田町界隈の議論はどこふく風、ご存知の通り経済活動の実際は真逆で、むしろ首都集中、東京一極集中が止まりません。
既に網の目のように東京の地下を走る既存の地下鉄のさらに下の大深度を掘り抜いて大江戸線が開通したのが、まさに21世紀初年度の2000年末。
丸の内再開発で2003年に三菱地所が建てた丸の内ビル。
IT景気の象徴と言える六本木ヒルズが竣工したのが、2003年。
2006年の表参道ヒルズ。
同じく2007年には三菱グループの丸の内再開発の象徴となる新丸の内ビル。
虎ノ門〜新橋を結ぶ旧通称マッカーサー道路の完成と歩を合わせるように2014年に竣工した虎ノ門ヒルズ。
渋谷再開発のモニュメント渋谷スクランブルスクエアは2019年・・・
どうしちゃったんだジャパン! 首都機能地方分散論はどこに吹き飛んだんだ?
地方の時代、と政治家もマスコミも口を揃えて移転だ分散だと言ってたのはどうしたんだろう。
地方論は、結局ゆるキャラとふるさと納税というその場しのぎで、本質的な話はぶっ飛びのまま。。。
言葉は悪いけど、結局工事やってナンボの土建国家じゃないですかこの国。ソフトが経済的にも、国民生活的にも…と藤岡さんが思ったかどうかは知りません。多分思ったんじゃないかな。
氏は1970年の3月に始まった大阪万博でパビリオンのプロデュースも手掛けましたが、同じ時期に富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」をやっています。国の隆盛をうたった万博で、「これはちょっと違うな」と自問自答していたのだと思います。
「ビューティフル」への後に氏はJR (旧国鉄)に「ディスカバー」の提言をします。
万博期間中の輸送力強化に多額の投資をし、実際にひとの移動を担った国鉄の課題は、ポスト万博の柱を作ることでした。依頼を受けた藤岡さんは以下のように考えたそうです。(現代軍師学心得より抄録)
万博が終われば、それに変わるイベントはないか、つまりお決まりの「新製品発売」という手ですね、こういう既存手段は私は嫌だったんで、「旅の意味」を徹底的に追及しました。そこで行き着いたのが、「旅は自分自身の発見だ」というコンセプトです。ディスカバー・マイセルフ。
当時の物質的繁栄一辺倒に対するアンチテーゼになると確信がありましたし、旅をそう捉えると共感を得られるはずだと。ディスカバー・マイセルフじゃ分かりにくいので、ディスカバー・ジャパン〜美しい日本と私〜にしたんです。
これ、もう50年も前のことですよ。ずっと時代を下って「自分探し」と皆が言うようになりましたが、その原点ここにありですね。
「旅」をハード、つまり客車による物理的移動とか観光(これもある意味ハードです)のようなfunctional benefitとして捉えるんじゃなくて、その先の情緒的価値を生み出すものと捉える。これってブランディングそのものです。国鉄の提供価値を正確・安全・リーズナブルな価格という機能便益じゃなくて、「美しい日本と自分探し」という付加価値に高める、これは見事なリブランディングです。
話を冒頭の東京に戻します。
著書「私には夢がある...」は氏が2016年東京オリンピック開催の時には東京をこう変えられないかと、夢を語った一冊です。本を書いていた時期にはまだ東京は候補地の一つとして他都市と競っていたんですね。
ここに書かれていた内容、とにかくスケールが大きくて凄いです。
前書きにこうあります。
それは都心の首都高 (都心環状線) を撤去して、かつてあった水路・水辺を復活させるという案だ。1964年の東京オリンピック以来半世紀ぶりに東京の都心にきれいな空と環境を取り戻すという話だが、諦め切って無関心に堕ちていた住民にとっては驚喜のサプライズとなる…折りしも、東京は2016年のオリンピックを招致しようと大奮闘の真っ最中だ。そうなら、見事招致が決定した暁には首都高に最後の御奉公という花道を…
この本が出たばかりの2009年末にこの著書を読みましたが、余りの風呂敷の広げっぷりにとてもリアルな提案とは思えませんでした。
でも、この11年後の2020年、日本橋の上に架かる首都高を地下化することを国土交通省が事業許可し、今年2021年の5月から着工することになるんですね。都心環状線の呉服橋出入り口と江戸橋出入り口を封鎖して、区間の日本橋川の川底下に首都高を通すことになります。
氏はこう提言しています。
かつて東京はヴェネツィアに負けない水の都であった。1964年東京オリンピックを機会に、首都高を都内に走らせ、多くの川を暗渠にしてしまった。2016年のオリンピック開催を機に、首都高都心環状線を撤廃し、水の都を復活したらどうか。都心環状線は他県から他県へ抜ける通過交通の車が過半数で、外郭環状線へ回ればいいだけの話。工事費で1兆円規模の景気刺激策にもなる。
たしかに。Tokyoを自然豊かな水の都にする・・・見事なTokyo Rebrandingです。
しかし、氏の思いとは逆に首都東京は益々高層化の再開発が進んでいるのは冒頭に書いた通り。三菱地所が手掛けた丸の内再開発の次は八重洲を三井不動産が総力を上げて再開発中です。
2020年東京オリンピックもコロナ禍で一年延期となり、本稿執筆中の3月現在では無観客で実施の方向と取り沙汰されてい、藤岡氏が思い描いたかたちとは随分と違ったものになってしまいそうです。首都高都心環状線撤廃も、実現する形は日本橋の頭上を通る部分だけを地下道路化するということに。
草葉の陰から「Discover Tokyo!」とはっぱをかける氏の声が聞こえるような気がします。
*1:マーティン・ルーサー・キング牧師が黒人差別の撤回を求める公民権運動で1963年に行った演説のタイトル「I have a dream」へのオマージュです。