必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の53 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑧ 終章〜

f:id:brandseven8:20210424101057j:plainアメリカのブランド観」というタイトルで梶さんは、数多くの広告理論同様、ブランド理論はアメリカで生まれたと紹介しています。

ブランドは資産であるという考え方を展開したのは、マーケティングを生業としているひとなら周知のディビッド・アーカー*1教授です。その考えがアメリカを席捲したのは1990年代初頭です。

遡ること10年、1980年代の初めアメリカはどんな時代だったかということは注目するに値します。アメリカは石油ショックの影響もあり、デフレ状態に突入、1980年には景気後退 (リセッション)局面に入ります。


今のアメリカからは考えられないですよね。2021年現在(2021年5月15日)、アメリカの株式市場はNYダウが史上最高値を更新しており、特にアメリカの経済を牽引している企業がGAFAGoogleAmazonFacebookAppleテックジャイアント4社です。

これにMaicrosoftを加えればGAFAMの5社となるわけですが。創業年はGoogle 1998年、Amazon 1994年、Facebook 2004年であり、最も古いAmazonからまだ20余年しか経っていない。この3社はその後アメリカ経済を牽引するIT ソフトウェア革命をなしたInnovation Companyです。

Maicrosoft、Appleは創業1975年、1976年ですが、この二社は当初ソフトウェアというよりコンピューターという「ハード」を作るメーカーだったわけです。ビル・ゲーツがPCの画期的オペレーティングシステムWindows95を発売して世界を席巻したのは、文字通り1995年のことです。

話を戻します。1980年代という時代にアメリカは何処にいたのか。1980年代後半は、日本がまさにバブル経済の絶頂にいた頃です。
以下、梶さんの「広告の迷走」から要約引用します。

ちょうど1980年代の後半から、アメリカは深刻な不況にあった。200を超える貯蓄銀行不良債権を抱えてパンク、メイシー百貨店が破産、ロックフェラー・センターをはじめいくつもの有名な建物が日本企業に買収された。
消費は沈滞、1987年のブラックマンデーを経て、アウトレットという業態が生まれアメリカは「激安大国」になった。広告主たちには安売りに走るところが激増した。
そんな最中の1994年、ブランド・エクイティ連盟というところ(全米の主要広告主、広告代理店、媒体社が共同で立ち上げた)が非常に印象的な広告をニューヨークタイムズに掲載した。(表題下の広告がそうです。「広告の迷走」に転載されたものです)
ビジュアルは読者に向かって突き出された人間の足の裏。モルグ(死体置き場)に置かれた死体の足で、親指には50%オフの値札が。
2行のキャッチフレーズ。
ブランドは自然に死ぬのではない。
自殺させられるんです。*2


この広告から紐解いて、梶さんはブランドの持つ真の効果を紹介しています。

安売りは問題の解決にならない、安売りによって買うお客は、もっと安い商品があればそちらに流れてしまう。長年かけて消費者と築いてきたブランド価値を一夜にしてダメにしてしまう暴挙、と警告を発しています。

そしてブランド・エクイティ協会の某氏の次の発言を引用します。

彼らはブランドが金の卵を産むということを忘れてしまったのだろうか。ブランドを適切に管理することによって、ブランドは何年にも渡って利益を生む財産であること、景気が悪い時ほどブランドは威力を発揮すること、を忘れてしまったのだろうか。

ブランド・エクイティ連盟はアメリカが不景気に喘いでいる時に結成されました。まさに、不景気の時だからこそ値下げ競争をするのではなく、ブランドを守るべし、という事だったんですね。

ルイ・ヴィトン・ジャパンを立ち上げた名経営者の秦 郷次郎氏は著書「私的ブランド論」で、ルイ・ヴィトンは値引きセールは決してしないポリシーであると語っています。

ブランドを徹底して大事にする欧米外資系の担当を長くしていて、嫌というほど言われたのはこのことです。

値段を下げてプロモーションをするのはブランドの自殺行為だ、値段を下げることは品質に対する購買者の期待を無意識下に下げる事になり、この悪循環に陥ってしまう。
ブランドに自信があるならば値下げはするべきではない。それはブランドのファンに対する裏切り行為である、と。

しかしながら、何故この分かりやすいテーゼが日本では重要視されないのでしょうか。

それは、日本では商品の種類が多品種であり、ブランド価値といったときに、それが企業のコーポーレート・イメージを意味する事になると誤認識されたからだと確信します。

企業の一つの商品が値引きセールをやったからと言って、企業全体のコーポレートイメージを毀損するわけではないと高を括っているのでしょう。

しかしながら、ブランドというのは会社全体を指しているのではなく、個々の商品の物性を超えた付加価値のある「印象」です。

世界最大の食品会社ネスレは世界で3000を超えるブランドを保有しています。多品種です。

しかしどれをとってもネスレの名前で売るのではなく、個別のブランド名でアピールしています。彼らはそれをプロダクト・ブランドと呼んだりします。

比して、日本ではブランドは商品の上位概念にあたるコーポレート、企業のアンブレラ・ブランドを実質的に意味することが多く、個別の商品をブランドと呼ぶ事はあっても、それは物性的商品を指しているだけです。それはブランドとは言えません。
なぜなら、以前にも書きましたが、「ブランド」とは商品そのものではなく、消費者の脳内に像が結ばれた昇華価値だからです。


本稿を執筆中の現在、2021年5月15日は、前年から世界中を巻き込んだコロナ禍の影響で、まさに不況の谷底を皆が怯えて見つめている「正念場」です。

日本はコロナ禍の起きる前から長年にわたり経済の停滞に苦しんできました。株価が上昇してきたのは日本銀行による異次元金融緩和と株の購入によるわけで、景気浮揚では決してありません。

そんな時代のマーケターはどうすればいいのでしょうか?
これまで8稿にわたり紹介してきた、梶さんが20年前に「広告の迷走」で熱く語ったブランディングの必要性は、たった今この国で当時より尚いっそう高まっているのではないかと思います。

ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔の巻、は本稿で締めることとします。
梶さんの峻烈な批判と助言教示に感謝。

*1:アメリカ合衆国経営学者、マーケティング理論家、コンサルタントである。専攻はブランド戦略。カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール名誉教授、電通顧問

*2:原文ではMost brands don't die of natural causes. They commit suicide.