其の54 昭和の名ブランディング〜ミスタードーナツ ①
前稿まで8篇を費やして、梶祐輔氏(日本デザインセンター創立メンバーの一人)が名著「広告の迷走」で繰り広げた日本の広告の有り様についての手厳しい批判と直言、提言をご紹介してきました。
氏が諸悪の根源と断罪したのは、短い時間しか工夫が許されない、でも高価な15秒テレビスポットという媒体の存在でした。
私が生まれた昭和31年、西暦1956年という年は「もはや戦後ではない」という有名な言葉が記された経済白書が出た年です。10年前に米軍から大空襲を受けて焼け野原と化した出生地の東京都神田は既に「戦後ではない」といわれるのも不思議ではない急復旧を果たしていました。全国も同様だったろうと思います。
コマーシャルを収入源とする民放テレビは1953年の日本テレビ放送の開局以来、「ニューメディア」として破竹の勢いで成長し、私が小学生になってテレビに齧り付いて「力道山」のプロレス中継を白黒テレビで観ていた頃、梶さんに広告の迷走の原因と喝破されたテレビCMも、旧来の主力マスコミであった新聞を追い越し、隆盛を極め始めていました。
雲霞の如く放映される、短期効果で終わってしまうであろうタレント頼みの商品名連呼型のテレビCM・・・確かにTVCMの多くは、人々の関心を引きつけるための有名タレントを起用、商品名の連呼をする、つまりはノイズを良きものと前提し作ったものでした。それを企業の宣伝部も広告代理店も「インパクト」と呼び、毎回抜く伝家の宝刀として重宝していたんです。
死屍累々たる使い捨てTVCMの山に、梶さんの嘆きと大きなため息が聞こえてきそうですが、私は実はこうした瓦礫のなかにもキラリと光るブランディングCMはあったと直感しているんです。
そのTVCMは、表面上はタレント頼みに見えますが、実は制作者がちゃんと消費者に伝えるべきブランドのコアを仕込んでいたであろう、言ってみるなら「隠れブランディングCM」です。
昭和の高度成長期にあった、そんな「隠れブランディングCM」を紹介していきたいと考えます。
まずはミスタードーナツ。
ご存知だと思いますが、ミスタードーナツを経営する親会社は清掃用品レンタルのダスキンです。
なぜ清掃業界会社が食品なのか?と素朴に疑問を持ちますよね。事業間に距離がありすぎ、シナジーイフェクトのカケラも感じられません。
でも見方を変えると、距離はなくなるんです。何言ってんだ!と怒られそうなので、即ネタバラシにいきます。
実は共通項はフランチャイズ・システムなんです。
ダスキンの創業者がアメリカのフランチャイズ・システムを導入してダスキンの前身サニクリーン社を創業したのは1963年です。
そしてそのわずか8年後に新たなフランチャイズ・システム事業として、当時アメリカで一般的だったファーストフード・フランチャイズ・ビジネスのミスタードーナツと提携し日本で事業開始したんですね。同じ年には三菱商事がケンタッキーフライドチキン1号店を名古屋で出店しています。
そして同じく1971年、マクドナルドの日本一号店が銀座に出店します。ファーストフード日本上陸の年と言えます。
さて、陸続と日本に登場したアメリカ発のファーストフードのチェーンですが、共通しているのは日本には無かった食文化を消費者に理解させ、来店してもらうことが必須だった事です。
本稿はミスタードーナツに関してなので、これについて考察します。
知ってはいるものの、そもそも日本にドーナツを日常的に食べるなんて習慣はないわけです。しかもお店に行ってまで。
当時日本人が知っていたドーナツといえば、ビニールの袋に入った、糖分でしっとりとしてしまったベタベタに甘い菓子だかパンだかわからない食品・・・だったはずです。
でも、ミスタードーナツの店頭に来てくれれば、数多くの本場のドーナツの品揃えと、美味しさを味わって貰える・・・まさにSeeing is believingが要点だったはずです。
一に来店促進、二に来店促進。これがミスタードーナツ・ジャパンのマーケティング大方針だったと思います。
ミスタードーナツは立ち上げ直後から、オリジナルコーヒーカップの景品プレゼントなど店頭プロモーションを主軸にしたTVCMを打っています。
アプローチの仕方は、日本人無名タレントを使ったもの、白人モデルを使ったもの・・・様々で、前述の梶さんの言う、短期的視野でしか考えないプロモーション広告の結晶☺️のようなCMでした。
ガラッと流れが変わったのは1985年に、明石家さんまと片桐はいりの二人を起用した面白CMからです。
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そして、なんと若き日のダウンタウン。
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この面白CMが放映されたのは1985年で、ここからミスタードーナツ独自の世界が加速するのは、1987年の所ジョージを起用したシリーズが開始されてからです。それはまた次回に。