><其の42でLexusのブランディングについて書きました。LexusはTOYOTAというコーポレート・ブランドからイメージを切り離して、独自の高級車路線を米国で確立することに成功し世界にその名を馳せることになった名ブランドですよね。
世界のネスレが、グローバル・ブランドとして確立していたNescafeと一線を画して、Nespressoをクオリティ・カプセル・コーヒーシステムとしてのブランドに育てたことを連想します。
LexusはTOYOTAの持つ大衆イメージと距離を置く必要がありましたし、Nespressoもインスタント・コーヒーのイメージがつくことを怖れて全くNescafeのHallo Effectは利用していません。
さて、Lexusが日本に「逆輸入」されるまでは、TOYOTA車のハイエンド車はクラウンでした。
クラウンは日本初の純国産設計車で、1955年に発売されました。当時の名前はトヨペット・クラウン。*1
発売以来、日本車のハイエンドのイメージを牽引してきたクラウンですが、なんと言っても私の頭にこびりついたイメージ*2は、日本の広告史に残る名コピーと言える「いつかはクラウン」なんです。このコピーは1983年に登場した7代目クラウンのキャンペーンで使用された名文句です。
まずはその時のTVCMをご覧ください。
これは60秒CMです。以前ご紹介した日本デザインセンターの故 梶祐輔氏の「日本の広告の迷走、15秒TVCM犯人説」とは対極にあるブランディングCMです。
ユーザー像を描くために、運転している人がなんと葉巻を吸っているのがご愛嬌です。いまだったらあり得ないですね。時代ですね。
クラウンは時代の移り変わりによって様々なCMがつくられました。
歴代のTVCM集です。ちょっと長いですが。
山村聡*3さんがメインキャラクターを務めていました。
成功したビジネスマンの役割を演じ、理想的なユーザー像を描いています。
コピーは「白いクラウン」「ハイライフクラウン」「男ざかりのクラウン」「美しい日本のクラウン」など様々なアプローチがなされています。
個々に優れたUSPアプローチのコピーではあると思うのですが、その中でやはり秀逸なブランディングをしているコピーが「いつかはクラウン」なんだと思うんですね。
ユーザーイメージはまさに山村 聡さんが演じたとおりの成功したビジネスマンだと思いますが、実際には「成功したビジネスマン」に憧憬の気持ちを抱く、中の上のビジネスマン、会社経営者、などの方々だったのだと推測します。
世はまさに高度成長期、毎年サラリーマンの給料は上がっていき、春闘と言われたベア交渉*4の結果がトップニュースになっていた時代です。
物価が上がり、それに合わせて給料も上がり、生活も良くなり・・・好循環の良いインフレーションの時代。
経済成長が止まり、一転して縮小下落、デフレの時代となった平成時代とは、この昭和後半は様相が違います。
そんな成長の時代、毎年上がる給料を貯金し、家電三種の神器、つまり白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を手に入れた人々は、次はマイカー*5の購入に向かいます。貯金だけではもちろん買えませんから、金融機関からお金を借りて利子を払って分割返金する、ローンが一般的になっていきます。マイカー・ローンという言葉が生まれたのもこの頃。
小型車から始め、出世魚が名前を変えるように、保有車のグレードを上げていくのが人々の夢だった時代。
「いつかはクラウン」はそんな人々の夢の到着点のハイエンドの車種であり、ブランド価値は「夢かなう」だったのだと私見ですが、確信します。
まだ西独御三家*6の高級輸入車が一般的でなかった時代、まさにクラウンは到達点であったのだと思います。
私の初めて自分で買った車は、結婚して間も無く手に入れた赤いブルーバードSSSですが、内心「いつかは白いクラウン」という気持ちがあったことを覚えています。遠い先の夢でしたけど。
しかし、トヨタ的には「いつかはクラウン」は数多くつくられたコピーのひとつでしかありませんでした。
「夢かなう」という昇華ブランド価値は不変のものですから、ずっとこのコピーは使い続けてよかったのではないでしょうか。
ブランド価値を単的に表現するコピーをショルダーコピーと言います。ブランド名の肩にとまるように常に近くに置かれることからショルダーコピーと言われます。
ネスレのグローバル・ブランドであるチョコレートのKit Katのショルダー・コピーは「Have a Break, Have a Kit Kat」。
「いつかはクラウン」・・・「Have a Break」に比肩する名ショルダーだと思います。