必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の61 昭和の名ブランディング・Music Player

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グラモフォン(蓄音機)

音楽再生機器、英語ではMusic Playerというのでしょうか、これは音楽の記録ソフトの変遷と歩みを合わせて進化してきました。
表裏一体。

世界で初めて再生可能なレコードを1877年に発明したのはエジソンフォノグラフと呼ばれました。日本語訳は蓄音機。

当初は音楽再生ではなく、盲人補助のための機器として開発されました。

10年後の1887年にドイツ出身のアメリカの発明家、エミール・ベルリナーが円盤型の記録媒体を利用したグラモフォンを発明し、音楽の再生に利用しました。

エジソンの媒体が円筒型であるのに対して、ベルリナーの平面状のそれは複製がしやすく、真ん中にレーベルを貼ることもでき、結果的に市場を支配することになったわけです。

このレコードを再生する機器、Music Playerとしてレコードプレイヤーが同時に開発されました。それはそうです。記録盤のレコードだけあっても、耳をつけても音は聞こえてきません。

レコードに次ぐ記録媒体は、磁気で記録をするテープレコーダーで、1935年にドイツの電機メーカーのAEGが市販を始めたマグネトフォンです。同じくドイツのBASFがテープの品質改善をおこなって、飛躍的にクオリティが上がっていき、第二次世界大戦中、長時間にわたるヒトラーの演説記録やベルリンフィルの演奏なども録音されるようになりました。

その後、音楽の記録媒体は、digital 時代に突入してCompact Discを経て、ついに音データをコンピューターシステムに格納する現在の音楽ファイルの時代となったわけです。

さて、これらの記録媒体の変遷と私の個人的なMusic Playerの変遷についての記憶の話をしたいと思います。

自分史上初めてのそれは、親に頼み込んで中学生2年の時に買ってもらった、パナソニックのWorld Boyというラジオです。

別にラジオカセット>>
当時ラジオカセットはまだとてつもなく高かったんです。<<ではなく、ラジオ機能しかないので記録はできないわけです。オンエアされているラジオ電波のみ。局側がライブ放送しているか、録音放送をしているかに関係なく、私は常にライブで聞いていたわけです。

記録媒体の変遷に合わせて、と言いましたが、最初は電波媒体を受信するのみでした。記録不可。😁

親には受験勉強に必要なんだと言い張って買ってもらったと思います。何の番組をだしに使ったのかよく覚えていませんが。難関の私立高校を受験するのでマストなんだ、と親を脅したのかも知れません。😀

実際は受験勉強系の番組なんかこれっぽっちも聞いてはおらず、夢中になっていたのは殆ど日本放送のリジェンド番組の「オールナイトニッポン*1でした。


私が中学2年だった1970年は、放送開始から3年たった頃、当時文化放送のセイヤングと日本放送のオールナイトニッポンはそれまでの深夜放送枠の型を打ち破った革新的な深夜帯番組でした。

テレビ番組が主要メディアとして破竹の勢いであったことに脅威を覚え、若者層を取り入れる対抗策としての深夜枠の大変革だったのでしょう。

実は私のあたまの中ではこの深夜の相棒だったラジオにまつわるブランド記憶が混乱しています。

私がその相棒World BoyのTVCMとして記憶していた一篇は、黒人の青年がWorld Boyを愛おしそうに抱きしめながらラジオから流れてくる母国の放送を聴き、母を思い落涙する、というものでした。

Voice-of-Americaを始めとし英国のBBCやオランダのRadio Netherlandなど世界の短波放送を受信できるといいう訴求をするそのTVCMで、私のアタマの中でそのラジオが世界へ開く窓口というブランド価値が出来上がったのです。

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from YouTube

でも、実はこれはWorld Boyの宣伝でなく、クーガという別の商品でした。1975年にそのCMがオンエアされた頃は、私は既に高校も卒業し、大学生でした。




話は戻ります。私が買ってもらったラジオはこのクーガではなかったんですけど、World Boyも名前からして世界とつながる感がありますよね。

実際には世界どころか、ニッポン放送のある有楽町と繋がっていただけなんです。😀

でも当時画期的な番組だったオールナイトニッポンのDJを務める局社員の高嶋秀武や亀渕昭信が、次々と紹介してくれる欧米のミュージシャンたちのロックは衝撃的で、レッドツェッペリンやジミヘンを知ったのもこの番組だったんです。その意味で、心はロンドンやロサンゼルスに飛んでいたわけです。

ラジオに感じていたブランド、世界とつながる気分、はそのパナソニックのラジオが私の脳に撃ち込んだブランドイメージでありました。

この時の「(英語で)世界とつながる気分」に魅せられたのだと思いますが、私はその後、大学で英字新聞の編集部員を務め、某新聞社の外信部で特派員電の書き起こしのアルバイトをし、卒業後は広告代理店で海外担当となっていくのです。

そして妻は・・・日本人でしたが、時々意思疎通ができなくなるので、外人みたいなもんです。😀


レコードにつぐ記録媒体はカセットテープです。表裏一体のMusic Playerはラジオカセットテープレコーダーです。ラジカセ。今の若い人には死語ですよね。それは次の項で。

*1:1967年に放送開始した日本放送の深夜番組。25時〜29時