必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の64 昭和の名ブランディング〜無責任男・植木等というブランディング〜

f:id:brandseven8:20210910033955j:plain 前回の水木しげるの妖怪ブランディングに引き続き、今回は植木等というブランディングについて・・・こいつアタマおかしいのか、とは言わずちょっと我慢して読んでみてください。☺️

  特定のブランド連想に導くキービジュアルだったり、キーサウンドなどのフック、これを調査会社ミルウォード・ブラウン南アフリカの会長エリック・デュ・プレシスが「ブランド・ソーマ」と名付けたと第20稿*1で詳しくご紹介しました。簡単にいうと脳内無意識下に出来たブランド価値への呼び水となる「記号」です。

  植木等は「無責任男」と呼ばれた、ある特殊なサラリーマン像というブランド・ソーマとして機能するキービジュアル(キーフィギュア)だったと思います。

  伝説のコミックバンド、クレイジーキャッツの略歴を簡単にご紹介させて下さい。

  植木等が所属したクレイジーキャッツ、正式には「ハナ肇クレイジーキャッツ」ですが、このグループは進駐軍*2の駐留キャンプ回りをする元々はキューバンキャッツというジャズ演奏をする音楽グループでした。

  演奏中にたまさか行ったギャグアクションが馬鹿受けし、バンドはコミックバンドの方向へシフトしていきます。

  自らもジャズミュージシャンだった渡辺晋率いる渡辺プロ所属。
 
  渡辺プロ躍進の原動力となるテレビ番組「おとなの漫画」や「シャボン玉ホリデー」といった伝説的な番組に出演して、この音楽のできる独特なコミックバンドの人気に火がついたのが,1960年代に入ったころです。

  まさに広告媒体としてのテレビが破竹の勢いで影響力を増していく昭和の時代です。
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  このキューバン・キャッツがハナ肇クレイジーキャッツというバンド名でスタートしたのは1956年、昭和31年 戦後10年が経過した年でした。「もはや戦後ではない」という有名なフレーズが経済白書に記された年です。

  渡辺プロの後輩コミックバンドのドリフターズが1970年代に「8時だよ全員集合」で人気に火がつき、先輩バンドと主役交代をすることになるまで、クレイジーキャッツは多くのバラエティ番組に出演、NHK紅白歌合戦の常連メンバーでもあり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

  テレビ番組は彼らのショーケースでしたが、一方で映画シリーズも数多くの作品が作られました。人気は1961年に出た「スーダラ節」という大ヒット曲で着火します。こんな歌詞なんです。

チョイと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやら はしご酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
わかっちゃいるけど やめられねぇ
あ、ほれ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ、っとくらぁ

  この歌詞は後に東京都知事となる青島幸男氏の手になるもので、モーレツサラリーマンへのアンチテーゼだったと思います。

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  右腕を体の前でゆらゆらと揺らし歌う、この独特の振り付けは大人気となり、子供はふざけて小学校で真似*3をし、大人は宴会で「チョイと一杯のつもりで飲んでぇ〜」と怪気炎を挙げていました。

  この歌詞に沿うかたちで1960年に映像化されたのが、大映映画「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ」でしたが、不作に終わりました。
  歌を地でいくサラリーマンの悲哀を描いたストーリーが大衆受けしなかったのが原因のようです。

  翌1962年、東宝映画配給に変えて出した「日本無責任時代」という映画が大ヒットして、その後のクレイジーキャッツ出演の映画量産体制の端緒となります。

  この映画の監督をした古澤憲吾と脚本を書いた東宝社員の田波靖男が作り上げた、「お調子者で無責任なサラリーマンが活躍する」というプロットが当たったわけです。

  シリアスさのかけらもない、明るくて、歌が自在に挿入されるミュージカル的要素もあったこの映画は、コメディバンドというクレイジーキャッツの特質がフルに活用されることになり、1962年夏の興行収入トップに躍り出ます。

  映画の大当たりで、お調子者サラリーマン映画はシリーズ化され、1971年まで10年間にわたり、11本が製作されます。

  このシリーズは植木等演ずる主人公が主役ですが、クレイジーキャッツのメンバー全員が一致団結し協力する「クレイジー作戦」シリーズも同じ期間に公開時期をずらして計14本が上演されます。これに時代劇仕立ての映画が4本あり、全部で30本近くの大シリーズです。年平均3本。

  1960年に当時の池田内閣が「所得倍増計画」を発表し、1961年からの10年間で国民総生産(GNP)を2倍にする計画が実行に移されました。高度成長時代の始まりです。
 
  お気づきでしょうか? 植木等クレイジーキャッツの快進撃はまさにこの10年期とピッタリ時期が重なっているんです。

  植木等の演じたお調子者サラリーマン、名前は平 均 (たいら ひとし)、この主人公はまさにこの時代の「モーレツサラリーマン」のアンチテーゼとして描かれています。 

  世のサラリーマンは会社の命令に言い諾々と従い、朝早くから世界に名だたる満員電車に押し込まれ、判で押したように一日中ハードワークをこなし、会社が終われば居酒屋でクダを巻いて家路に着く、毎日この繰り返し。
  
  主人公平 均 (たいら ひとし)は、名前とは逆にちっとも平均的なサラリーマンではなく、融通無碍、無責任に調子良く過ごして、然るに成功してしまう男として描かれています。

  この映画を観て日本のサラリーマンたちは、「責任」の重しで押しつぶされそうな自分の状況とは真逆な平 均(たいら ひとし)に「解放感」を感じて溜飲を下げていたのだと確信します。

  植木等が演じた無責任男のブランド価値はここにあったはずです。解放、releaseです。

  皮肉なことに、実際の植木等は父親が浄土真宗の寺の住職であったこともあるのか、「無責任男」とはかけ離れた生真面目な人物であったようです。

  実際に植木等はスーダラ節を歌うにあたって葛藤し、遂に父親にどうしたものかと相談をしたそうです。

  住職の父は逆に「この、わかっちゃいるけどやめられない、という下りは我が浄土真宗をつくった親鸞聖人の教えに通ずる真理である」と大賛成したいうエピソードは有名です。ホントかどうかわかりませんが。😀

  ご本人の気持ちはさておき、まさに植木等はこの「無責任男サラリーマン」、実在のサラリーマンたちに「解放感」を与えるソーマとしてブランディングされたわけです。

  ブランドは一度出来上がると、簡単には変わることがない、という利点があり、だからこそ多くの企業がブランディングに心血を注ぐわけです。しかし、逆の見方をすると、一度出来上がると簡単には変えられない、という不利点が同等にあるわけです。

  それが証拠に、植木等がシリアスな演技をする俳優として高い評価を得ることができたのは、1960年のスーダラ節から実に25年後の1985年に黒澤明監督の「乱」に助演した時のことでした。

*1:其の20「違いのわかる男」の何が違うのか?

*2:第二次世界大戦終了後、敗戦国日本をポツダム宣言に従い占領管理するために、進駐した連合国軍組織。連合国軍最高司令部。

*3:筆者も正月の親族の集まりでこれを披露し、両親から後で酷く怒られた記憶が鮮明にあります。