必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の67 広告の見巧者〜向井 敏 ②〜

>

f:id:brandseven8:20211009120742j:plain
「紋章だけの王国」増補版 向井 敏 著 潮出版 昭和58年(1983年)
< 向井 敏 氏が「紋章だけの王国ーTVCMの歴史と構造」を上梓したのは1977年のことです。民放開設の1953年から数えて20年余、氏が"誰も専門家がおらず試行錯誤でTVCMなるものを作っていた" と、その時代を回想した初期の頃からの変遷は実に面白い右往左往の「試行錯誤」です。

 この著作から6年後の1983年に氏はTVCMの30年史として新たに増補版を出版しました。改訂はせず、10章からなる原版に加えて補遺の一章を加えて30年通史としたのです。

 後2年するとTVCM50周年となり50年史が書けることになりますが、1983年に上梓されたこの著書では主だったTVCMのtransformationはほとんどカバーされているように感じます。いわばTVCMが元気だった頃の記録です。

 アメリカの広告界がおこなってきた、商品の特徴・優位性を中心に広告を制作するU.S.P.アプローチとは異なり、日本の広告は15秒テレビスポットを主要メディアにしたために、独自の進化発展をします。

 以前ご紹介した梶 雄輔 氏は舌鋒鋭くそれが日本の広告の迷走を招いたと批判しました。進化じゃなく、退化であるかのように。


 とはいえ、試行錯誤からドラスティックに日本的な変化を遂げていくTVCMのありようを向井氏の著書「紋章だけの王国」に沿って見ていくのは一興です。

 さて、先稿に書いた「生コマ時代」を経て、変遷を遂げていくTVCMのありようを向井氏は次の三つをCM制作者が「命綱」*1にした時代として三つに切り分けました。

すなわち、
① コマーシャル・ソング (1955〜1962)
② キー・ワード(1963〜1965)
③ フィーリング(1967以降)

 本稿では①のコマーシャル・ソング(以下CMソング)について見ていきます。

 初めてのCMソングは1954年の「やっぱり森永ね」で、作詞作曲・三木鶏郎、歌・中村メイコ、古賀さと子、灰田勝彦宮城まり子三木鶏郎

商品名や特徴を歌い込んだCMソングに効果あり、とわかると、はじめに歌ありき、CMソングを主軸にするCM制作手法が定着していく。

「ワ、ワ、ワ、ワが三つ♪」と歌われた三和石鹸(1954年)、カーン、カーン、カネボウ」のカネボウ毛糸(1956年)、「メンメン、メイジ」の明治チョコレート(1957年)など、量産された。

歌は味付けではなくて、CM構成の軸芯となっている。CMソングの作詞作曲家が今のCMプランナーなのだ。

これらの多くのCMソングを手掛けたのが三木鶏郎氏である。

「紋章だけの王国」より概略引用。


 三木鶏郎氏(1914〜1994)は、戦後から昭和30年代にかけて大活躍した作詞・作曲家です。

 1951年に日本初のCMソング ”僕はアマチュア・カメラマン”を小西六写真工業コニカミノルタ)のために作り、戦前から活躍していた歌手であり俳優でもある灰田勝彦氏が唄を歌いました。

 と言っても、1951年は流石に私も生まれる前のことです。聴いたことがなかったので、YouTubeで「僕はアマチュアカメラマン」と打ち込んで調べてみると、灰田勝彦さん歌うCM曲が聴けました。やはり聞いた記憶がなかった。😁

 自分の耳に残っている三木鶏郎さんの手による曲は、なんと言ってもCMソングではミツワ石鹸の「ワ、ワ、ワとワが三つ」、松下電気産業(現ナショナル)がTV番組ナショナル劇場のオープニングで使っていた「明るいナショナル」です。

 TV番組主題歌では、鉄人28号江崎グリコが一社提供スポンサーであったので、主題歌の前奏と終わりの部分で「グリコ、グリコ、グーリーコー」と歌い込まれているんですね。凄いスポンサーファーストっぷりです。😀
 
 これ、耳について離れません。


 向井さんが「コマーシャル・ソングの時代」と評したこの時期ですが、それまでのラジオCMの影響が大きかったのではないかというのが氏の見立てです。

 初の民放である日本テレビが開局した1953年、ラジオの登録世帯数は一千万超、一方のニューメディア・テレビは3,600台だった由。ラジオ東京テレビ(現TBS)が開局した1955年でもやっと10万台に届いたに過ぎません。

 つまりCM制作の主力は当時は依然としてラジオCMであったわけです。ラジオCMに特徴的だったのはCMソングを主軸としたCM制作なんですね。

 ながら試聴が基本のラジオでのCMは、小難しいことを言っても視聴者の記憶には残らないので、単純明快で耳に飛び込んでいくCMソングが鉄板だったのだと推測します。

 込み入ったメッセージは無理なので、スポンサー名、商品名をとにかく歌に織り込むことに全力集中。

 当たり外れが少なく制作者が重宝したというCMソングを基軸とするTVCMは、しかし民放開局から10年もすると下火になっていきます。

 なぜか?

 メディアの趨勢が変わったからです。

 1962年初頭にはテレビの登録世帯は一千万を超え、ラジオとの媒体価値が逆転、以後テレビの大躍進が続きます。

 しかも、短い広告オンエア時間を効率よく切り売りするためにテレビでは5秒スポットが多く売られるようになり、5秒ではサビすら表現できないCMソングは一気に下火となったそうです。向井氏が「CMソングの時代」と表現した時期はこうして終焉します。

 次稿では「キーワードの時代」と氏が切り取った時期をご紹介したいと思います。

*1:表現の主軸にしてコミュニケーションすることを氏は意味していると思います。