必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれや。毎週土曜日に。

其の58〜昭和の隠れブランディング〜ケンメリ・・・

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前稿ではTOYOTAのフラッグシップ車種のクラウンについて書きました。

このクラウンの登場から2年後の1957年、日産自動車とのちに合併するプリンス自動車富士精密工業と名乗っていたときに生産を開始した日本の名車がスカイラインです。

スカイラインは2021年今日現在も健在でいる車種ですが、日産車の中で唯一プリンス時代から残っている車種名だそうです。

スカイラインはその後一般車として進化していきますが、1964年日本グランプリGTクラス出場に焦点を合わせて、レース参戦責任者の桜井真一郎*1が陣頭指揮をとって仕上げたレース用の車がスカイラインGTです。通称スカG(スカジー)と呼ばれました。生産されたのは100台のまさに限定車です。

第二回日本グランプリで一時ポルシェを抜いて先頭に立ったこの俊馬のような車を是非売ってくれという声が相次ぎ、日産は翌1965年にスカイライン2000GTの量産に踏み切ります。

スカイラインはその後3代目へとモデルチェンジを経て、
いよいよ(私的にいよいよなんです。😀)ケンメリで世に知られることになる4代目へとモデルチェンジを果たします。

4代目C110型は1972年に登場しました。
4代目はリアが楔形をしていて太いC ピラーが特徴的な実に先進的なデザインの2ドア・ハードトップ*2で、驚きました。
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そしてこの4代目のスカイラインGTのTVCMがそれまでに見たことのないようなおしゃれなCMで、これにも驚かされました。


まずはそのCMを。


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mkMONOOKI チャンネル



この頃は私は16歳。高校1年生でした。

まだ車を買う年齢ではありませんでしたが、本格的男女交際に入る前夜、このCMが見せてくれたケンとメリーのカップ*3のスライス・オブ・ライフは、まるで洋画の1シーンを観ているようで、憧憬の極致だったんです。

CMに登場するハーフ*4が過ごすシーンに「こういう風になりたいなぁ。こんな彼女がいたらいいなぁ。」と憧れたもんです。

当時の消費者のメイン層は今と違って欧米コンプレックスが強い世代でした。若者はロミオとジュリエット*5を観てレナード・ホワイトニングとオリビア・ハッセーの悲恋にため息をつき、恋のメロディ*6トレイシー・ハイドマーク・レスターの二人に自分とガールフレンド(いたんです。😀)の姿を投影したりしていました。白人ファーストの時代だったんです。




このスカジーブランディングについて考察してみたいと思います。スカジーは、私がクラウンに感じた遠い日を夢見るような羨望ではなく、できるなら今すぐにでも欲しい、ゲットして彼女を横に乗せてドライブに行きたいと「切望」した記憶が鮮明です。リピドー刺激というか、なんというか。

クラウンのブランド価値が「いつかはクラウン」に代表される「夢かなう」憧憬(私見です)とするなら、スカジーブランディング価値は「すぐに彼女をゲット」できる小道具を所有する欲の充足(これも私見です☺️)だったのだと思います。

もちろん「技術の日産」と評価された日産プリンスの総力を結集してつくられていたスカGは、車の性能的に秀逸なものがあり、車に詳しい人から高評価を得た名車であることに疑問の余地はありません。

でも、このスカGの広告では、性能・特徴にフォーカスするUSPアプローチを取りませんでした。

そうではなくて、この車を持つことによって実現されるであろう、恋の予感をブランディングの昇華価値に設定したのです。それまでに見たことのないような独特のフォルムと相まって、スカGの魅力は光り輝いていました。


自分では所有することはできませんでしたが、竹馬の友が大学に入ってから買った車がスカイラインGTでした。

会社を経営するオヤジからバカボンが買ってもらったというわけです。

この友人がまさにこの「ケンメリ」のCMに激しくリピドー刺激をされて親をねだり倒して買ってもらったんですね。

当時の若者は皆「スカジー」と言っていましたが、友人はこのスカジーをまさに、ガールフレンドをゲットするための魔法の杖、魔法の絨毯、ゲームで言えばドラクエの呪文メラゾーマのような、絶大な効果があると盲信してたんですね。

空手黒帯の友人は、見かけは豪胆を絵に描いたような男でしたが、実は結構クヨクヨするたち。

ガールフレンド候補が現れると、まずはデートコースをシュミレーションして、私ともう一人の男親友をドライブに誘うんです。言ってみれば予行演習ですね。

軽井沢などあちこちに行きました。
彼の頭の中にはケン(彼)とメリー(未来のガールフレンド)が浮かんでいたはずです。シュミレーションで女子が喜びそうな店の見当をつけていました。メモも取っていましたね、確か。

当時はネットなんか影も形のない時代。ぐるなび、なんか勿論ありませんから、全て実体験と知り合いからのリアル口コミです。

スカジー保有して、CMに出てくるようなメリーさん的ガールフレンドをゲットできた若者はどれほどいたんでしょうか。メリーさんとまではいかなくても、現実に彼女をつくれたひとも少しはいたのでしょう。

私のかの友人はシュミレーション奮闘虚しく、できませんでした。全く。

そんなわけで、私はスカジーのケンメリCMが作り上げたブランディングがいかに効力を発揮したかを、右往左往する友人を見て目撃していたんです。

実に昭和の名ブランディングのひとつでした。

*1:著名な日本の自動車技術者。1929-2011。

*2:4ドア・セダンもありましたが、スカGはなんと言っても2ドア・ハードトップです

*3:昭和語ですね。彼氏彼女のこと。

*4:文字通り親が日本人と外国人の1/2の血で、混血を意味する。今はこれが差別用語にあたるとしてミックスというようになっている。当時はハーフというと日本人と白人の混血を意味することが多かった。

*5:1968年英国映画

*6:1971年英国映画。原題Melody

其の57 昭和の隠れブランディング 〜いつかは・・・〜

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TOYOTA ホームページより
<其の42でLexusブランディングについて書きました。LexusTOYOTAというコーポレート・ブランドからイメージを切り離して、独自の高級車路線を米国で確立することに成功し世界にその名を馳せることになった名ブランドですよね。

世界のネスレが、グローバル・ブランドとして確立していたNescafeと一線を画して、Nespressoをクオリティ・カプセル・コーヒーシステムとしてのブランドに育てたことを連想します。

LexusTOYOTAの持つ大衆イメージと距離を置く必要がありましたし、Nespressoもインスタント・コーヒーのイメージがつくことを怖れて全くNescafeのHallo Effectは利用していません。

さて、Lexusが日本に「逆輸入」されるまでは、TOYOTA車のハイエンド車はクラウンでした。

クラウンは日本初の純国産設計車で、1955年に発売されました。当時の名前はトヨペット・クラウン。*1

発売以来、日本車のハイエンドのイメージを牽引してきたクラウンですが、なんと言っても私の頭にこびりついたイメージ*2は、日本の広告史に残る名コピーと言える「いつかはクラウン」なんです。このコピーは1983年に登場した7代目クラウンのキャンペーンで使用された名文句です。


まずはその時のTVCMをご覧ください。

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これは60秒CMです。以前ご紹介した日本デザインセンターの故 梶祐輔氏の「日本の広告の迷走、15秒TVCM犯人説」とは対極にあるブランディングCMです。

ユーザー像を描くために、運転している人がなんと葉巻を吸っているのがご愛嬌です。いまだったらあり得ないですね。時代ですね。

クラウンは時代の移り変わりによって様々なCMがつくられました。

歴代のTVCM集です。ちょっと長いですが。


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山村聡*3さんがメインキャラクターを務めていました。
成功したビジネスマンの役割を演じ、理想的なユーザー像を描いています。

コピーは「白いクラウン」ハイライフクラウン」「男ざかりのクラウン」「美しい日本のクラウン」など様々なアプローチがなされています。

個々に優れたUSPアプローチのコピーではあると思うのですが、その中でやはり秀逸なブランディングをしているコピーが「いつかはクラウン」なんだと思うんですね。


ユーザーイメージはまさに山村 聡さんが演じたとおりの成功したビジネスマンだと思いますが、実際には「成功したビジネスマン」に憧憬の気持ちを抱く、中の上のビジネスマン、会社経営者、などの方々だったのだと推測します。

世はまさに高度成長期、毎年サラリーマンの給料は上がっていき、春闘と言われたベア交渉*4の結果がトップニュースになっていた時代です。

物価が上がり、それに合わせて給料も上がり、生活も良くなり・・・好循環の良いインフレーションの時代。

経済成長が止まり、一転して縮小下落、デフレの時代となった平成時代とは、この昭和後半は様相が違います。

そんな成長の時代、毎年上がる給料を貯金し、家電三種の神器、つまり白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を手に入れた人々は、次はマイカ*5の購入に向かいます。貯金だけではもちろん買えませんから、金融機関からお金を借りて利子を払って分割返金する、ローンが一般的になっていきます。マイカー・ローンという言葉が生まれたのもこの頃。

小型車から始め、出世魚が名前を変えるように、保有車のグレードを上げていくのが人々の夢だった時代。

「いつかはクラウン」はそんな人々の夢の到着点のハイエンドの車種であり、ブランド価値は「夢かなう」だったのだと私見ですが、確信します。

まだ西独御三家*6の高級輸入車が一般的でなかった時代、まさにクラウンは到達点であったのだと思います。

私の初めて自分で買った車は、結婚して間も無く手に入れた赤いブルーバードSSSですが、内心「いつかは白いクラウン」という気持ちがあったことを覚えています。遠い先の夢でしたけど。

しかし、トヨタ的には「いつかはクラウン」は数多くつくられたコピーのひとつでしかありませんでした。

「夢かなう」という昇華ブランド価値は不変のものですから、ずっとこのコピーは使い続けてよかったのではないでしょうか。

ブランド価値を単的に表現するコピーをショルダーコピーと言います。ブランド名の肩にとまるように常に近くに置かれることからショルダーコピーと言われます。

ネスレのグローバル・ブランドであるチョコレートのKit Katのショルダー・コピーは「Have a Break, Have a Kit Kat」。

「いつかはクラウン」・・・「Have a Break」に比肩する名ショルダーだと思います。

*1:トヨペット現在はディーラー網のひとつだが、当初は車種名に使われていた。 

*2:つまりこれが「ブランド」です

*3:やまむら さとし。日本の俳優。1910〜2000。

*4:毎年の昇給を労働組合が会社に対して行う交渉のこと。ベースアップをベアと略したものです。

*5:昭和30年代、自家用車の意味でつくられた日本語解釈の英語。英語本来の意味は’私の車’であり、自家用車のニュアンスはない。個人が車を持てなかった時代が終わり、本格的なモータリゼーションの始まりを告げる象徴となった言葉である。

*6:メルセデス・ベンツBMWAudi

其の56 昭和の隠れブランディング 〜男は黙って〜

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映画.com
<男は黙って、何を飲んだのでしょう?
こんなクイズがあったら、昭和30年代前半に生まれた男子ならば即答できるでしょう。

昭和31年生まれの貴方、正解です。
そうです。サッポロビールです。

まずはこのTVCMをご覧ください。


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どうでしょう。

前稿で8篇にわたってご紹介した日本デザインセンターの創立メンバーの梶 祐輔氏は、日本の広告の迷走は15秒TVCMが原因であると喝破しました。15秒しかないので、必然CMはタレント頼みになり、これでもかと宣伝文句を詰め込むことになる。

外国人クリエイターの友人は「タレント、トツゼン、ショウヒン」と言って日本のTVCMを揶揄すると梶さんは書いていますが、
このサッポロビールのCMも「タレント=三船敏郎、トツゼン、ショウヒン=サッポロビール」です。

しかし、このCMは氏が批判した、宣伝文句の過剰搭載CMとは全く趣が違います。

Youtubeは30秒篇ですが、いわゆる宣伝文句、ナレーションは一言もない。

出てくるのは力強い筆文字で書かれた「男は黙ってサッポロビール」の文字。

タレントの三船敏郎氏も一言も喋らない。美味いの一言もない。

海原をいく運輸船の上で、腰掛け、無造作に持ったサッポロビールをコップに注ぎ、
黙ってグビッと飲む。それだけです。


冒頭のテロップに昭和45年(1970年)と出てきますが、当時私は中学生になる直前。

お酒とタバコはまだやっていませんでしたが、この二つのアイテムはオトナのオトコへの通過儀礼でした。

このTVCMは強烈に印象に残っています。

四の五の言わずビールをグビッとやれる一人前のオトコに早くなりたい、という憧憬の気持ちがわきあがったんです。

もし私が当時ビールの消費者の中心である30代~40代男子だったとしても、このTVCMのオトコらしい飲みっぷりに憧憬を感じたと思います。

私個人の見立てですが、ブランディング価値は「男らしさを放つ」ことにあったのではないでしょうか。髭をはやすことと一緒かもしれません。☺️

CMが放映された1970年当時、お酒の消費量は日本酒がビールを圧倒的に上回っていました。オトコなら日本酒という通念を覆すべく、ビールにそのイメージを付加するという狙いだったのではないでしょうか。

当時はまだユーザーではなかったので、ビールがどんなイメージを持たれていたのかは実感がありません。

サッポロビールのホームページを見るとこのキャンペーンの背景はこう書かれています。

1970年 都市伝説を生んだ沈黙のCM

サッポロビールは爽やかな切れ味が特色であり、やや女性的であるとされていました。当時のヘビーユーザーは男性でしたから、男らしいイメージに方向転換させなければなりませんでした。こうした背景で生まれたのが「男は黙ってサッポロビール」。1970年(昭和45年)のことです。世界の三船敏郎の起用は必然性があったのです。ポスターのデザインは極端なまでに単純化され、ロゴもボディコピーもラベルすらもないのです。テレビCMの音声は音楽だけで、画面には文字だけが流れる「黙った広告」でした。この沈黙の広告は大ヒットし、都市伝説*1にもなりました。

男は黙ってサッポロビール、この稀代のコピーライター秋山晶*2のつくった名コピーは、私の記憶が間違っていなければ、この三船敏郎篇のみで残念なことに終わってしまいます。

ギター侍波田陽区じゃないけど、「残念!」。


現代は男女等しく飲む時代なので、この「男らしく・男は黙って」コンセプトはまったく通用しないでしょうし、逆に炎上すること間違いなしではあります。しかし、男女雇用機会均等法が実施された1985年くらいまでは通用して、強いブランディングができたんではないかなぁと夢想するんです。三船敏郎さんは男らしさマックスの方なので、後任タレントは選出が難しいとしても、なんとしてもシリーズにして毎年タレントを変えて。


「男は黙って」ならば、やはり高倉健菅原文太は外せないですよねぇ。高倉健は2001年、菅原文太は2014年にキリン・ラガービールのTVCMに出演していますが、1970年代にキャスティングしていれば、サッポロの方が先でした。☺️

お二方とも亡くなられてしまいましたが、この方々、まさに「男は黙って」に適役だったと思うんですよね。
そして、ちょっと外して渥美清さん。饒舌な寅さん役で知られる渥美さんがあえて黙っって飲む。いいなぁ。

このCMがシリーズ化されていたなら、以前書いたネスカフェゴールドブレンドの「違いのわかる男」シリーズに並ぶ日本のロングラン・ブランドCMになっていたのは間違いないと確信します。

奇しくも「違いのわかる男」シリーズの一作目、映画監督・松山善三篇が世に出たのは、この「男は黙ってサッポロビール」(三船敏郎)がオンエアされたのと同じ1970年です。

*1:このCMが話題になった後のサッポロビールの入社面接で、面接官が何を聞いても答えない学生がいて、帰り際に「男は黙ってサッポロビール」と言い残して部屋を去ったが、その学生は合格した、という都市伝説。

*2:1936年生まれ。ライトパブリシティ代表取締役CEO。

其の55 昭和の隠れブランディング〜ミスタードーナッツ ②

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walkerplus.comより
<ミスタードーナッツ 、以下ミスドに省略します、ミスドのTVCMが1985年に登場した明石家さんま片桐はいりの共演したCMからガラリと変わったと前回書きました。そして続いて、若き日*1ダウンタウンが出演します。

このTVCMが持つ独特のテンポ、どこかで観たような気がしませんか? 既視感、デジャブというか・・・

はい、貴方のいう通りです。あのキンチョーの面白CMとテンポ感が一緒なんです。

実はこれらのCMは、面白CM制作者の梁山泊として知られた、大阪電通クリエイティブの通称堀井チームの仕事なんです。

堀井チームの魔術で、この独特のテンポ感は1987年から始まった所ジョージ演ずる店長シリーズで加速します。

まずは所ジョージ篇ご覧ください。
ちょっと長いので全部見ると5分になってしまいます。😀 明石家さんまさん、ダウンタウンのCMも遡って出ていて重複していますがご容赦ください。
このYouTubeでは、今なら放送禁止な昭和のTVCMという括りで紹介されています。当時でもスレスレだと思いますが、コンプライアンスに敏感な現代では、完全にアウトでしょう。

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サラッと本音を言ってしまう、このパターン、実は大阪電通の堀井チーム(敬称略。😀)が得意とする手です。

キンチョーのCMには随所にこの「サラッと本音」技を垣間見ることができます。

同社の沢口靖子シリーズはその良い見本です。見本市。😀


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製品の特徴の表示にかぶせて「あ、こんなんどーでもいい」とナレーションを入れてしまうのが凄いです。


「CMで本音を言うことはないだろう」と皆が了解しているTVCMで、コメディトーンに紛れて本音を敢えて言ってしまう。このことに視聴者は驚き、クスッと笑います。

実はこの「クスッ」と笑わされるのが曲者で、このときに視聴者は無意識に宣伝企業に好感を持ってしまうのです。

マリリン・モンロー語録にこんなのがあります。
「女の子を笑わせることが出来れば、どんな娘もあなたの言うことを聞くわ。*2」実は笑わせることが、好感を得ることの肝と言うのがわかります。

最近では、お笑い芸人が二枚目俳優よりモテることってあるじゃないですか。好感するのは笑わせてくれるからだと確信します。

ミスドに話は戻ります。
所さんのシリーズは1986年から2001年まで続くロングランCMになります。

定番の店頭景品プロモーションを面白く告知するという・フォーマットが鉄板ネタになりましたね。「そこまで大したもんじゃない」という自虐ネタを自在に展開して、逆に人々が欲しくなる心理をついてます。

この「たいしたモノじゃないけど」パターンは、チームのクリエイターがそれを知っていたかどうかは不明ですが、まさにマーケティング心理学の「カリギュラ効果」のバリエーションだと思います。

カリギュラ効果」って、つまり禁止されると逆にひとはやりたくなるという心理ののことです。

 1980年に公開されたアメリカ・イタリア合作のローマ帝国の暴君カリギュラを描いた映画があまりに残酷なシーンが多く、放映禁止となる地区が出て、かえって話題となったという事象に因んで付けられた名前です。

 ミスドの場合は、キャンペーンの景品を「たいしたもんじゃない」「別にどーってことない」と言って、かえってひとびとの関心を惹起したことになります。

 これを提案するクリエイターも凄いですが、OKを出した企業、ミスタードーナッツが凄いです。ヤケクソとしか思えない。😀 冗談です。

 強かな読みをお持ちだったわけで、リスペクトします。なかなかできるもんじゃありません。


ジングルも効いています。
いいことあるぞ、は「なんかちょっとしたモノがもらえる」を暗示していると思います。



広告批評別冊で出版された「堀井博次グループ全仕事」という本の中で、堀井さん本人がミスドのCMを振り返ってこう述懐しています。

プレミアム広告を続けているうちに、ブランド広告になった珍しいケースです。


ですよね。堀井さんはどういう「ブランド広告」だったかは言及していません。

私が代わりに説明します。といっても、私個人の解釈ですけど。


ドーナッツを食べるという食文化がない日本でミスドを成功させるには、とにかく店舗へ顧客誘引することが一番の課題だったはずです。

そのためにこそ、店頭景品プレゼントキャンペーンを定番化したはずです。

そしてもう一つ大事なことは、店舗へ行きやすくするために徹底して敷居を低くすることだったと推察します。

CMではお洒落なドーナッツ店という切り口は一切取らず、むしろ逆に一般のフツーの人の姿、つまり等身大を描いています。むしろ等身大以下です。😀

等身大以下の人を描かせたら堀井チームの右に出るものはいません。

ブランディングの決め手はあの「♫いいことあるぞ、ミスタードーナッツ♫」のジングルだったと思います。

ブランド価値は「食べると楽しい気分になる」。
サポートは、ミスドへ行くと景品がもらえて、これもハッピー。

そして、「たいしたもんじゃない」敷居の低さ、行きやすさ。

ふざけたCMの裏にあったのはこうした強かな計算だったのだと確信します。知らんけど。
*3

*1:若き日のダウンタウンとわざわざ書いたのは、明石家さんま片桐はいりは今でも当時と容貌の印象が変わっていないからです。ダウンタウン、特に松本人志は激変です。

*2:原文:If you can make a woman laugh, you can make her do anything.

*3:大阪弁だと「知らんけど」ってこういう使い方をするんじゃないでしょうか。知らんけど。

其の54 昭和の隠れブランディング〜ミスタードーナッツ ①

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ミスタードーナッツ・ホームページより 箕輪第一号店創業当時
前稿まで8篇を費やして、梶祐輔氏(日本デザインセンター創立メンバーの一人)が名著「広告の迷走」で繰り広げた日本の広告の有り様についての手厳しい批判と直言、提言をご紹介してきました。 氏が諸悪の根源と断罪したのは、短い時間しか工夫が許されない、しかして高価な15秒テレビスポットという媒体の存在でした。 私が生まれた昭和31年、西暦1956年という年は「もはや戦後ではない」という有名な言葉が記された経済白書が出た年です。10年前に米軍から大空襲を受けて焼け野原と化した出生地の東京都神田は既に「戦後ではない」といわれるのも不思議ではない急復旧を果たしていました。全国も同様だったろうと思います。 コマーシャルを収入源とする民放テレビは1953年の日本テレビ放送の開局以来、「ニューメディア」として破竹の勢いで成長し、私が小学生になってテレビに齧り付いて「力道山」のプロレス中継を白黒テレビで観ていた頃、梶さんに広告の迷走の原因と喝破されたテレビCMも、旧来の主力マスコミであった新聞を追い越し、隆盛を極め始めてていました。 雲霞の如く放映される、短期効果で終わってしまうであろうタレント頼みの商品名連呼型のテレビCM・・・確かにTVCMの多くは、人々の関心を引きつけるための有名タレントを起用、商品名の連呼をする、つまりはノイズを良きものと前提し作ったものでした。それを企業の宣伝部も広告代理店も「インパクト」と呼び、毎回抜く伝家の宝刀として重宝していたんです。 死屍累々たる使い捨てTVCMの山に、梶さんの嘆きと大きなため息が聞こえてきそうですが、私は実はこうした瓦礫のなかにもキラリと光るブランディングCMはあったと直感しているんです。 そのTVCMは、表面上はタレント頼みに見えますが、実は制作者がちゃんと消費者に伝えるべきブランドのコアを仕込んでいたであろう、言ってみるなら「隠れブランディングCM」です。 昭和の高度成長期にあった、そんな「隠れブランディングCM」を紹介していきたいと考えます。 まずはミスタードーナッツ。 ご存知だと思いますが、ミスタードーナッツを経営する親会社は清掃用品レンタルのダスキンです。 なぜ清掃業界会社が食品なのか?と素朴に疑問を持ちますよね。事業間に距離がありすぎ、シナジーイフェクトのカケラも感じられません。 でも見方を変えると、距離はなくなるんです。何言ってんだ!と怒られそうなので、即ネタバラシにいきます。 実は共通項はフランチャイズ・システムなんです。 ダスキンの創業者がアメリカのフランチャイズ・システムを導入してダスキンの前身サニクリーン社を創業したのは1963年です。 そしてそのわずか8年後に新たなフランチャイズ・システム事業として、当時アメリカで一般的だったファーストフード・フランチャイズ・ビジネスのミスタードーナッツと提携し日本で事業開始したんですね。同じ年には三菱商事ケンタッキーフライドチキン1号店を名古屋で出店しています。 そして同じく1971年、マクドナルドの日本一号店が銀座に出店します。ファーストフード日本上陸の年と言えます。 さて、陸続と日本に登場したアメリカ発のファーストフードのチェーンですが、共通しているのは日本には無かった食文化を消費者に理解させ、来店してもらうことが必須だった事です。 本稿はミスタードーナッツに関してなので、これについて考察します。 知ってはいるものの、そもそも日本にドーナッツを平常的に食べるなんて習慣はないわけです。しかもお店に行ってまで。 当時日本人が知っていたドーナッツといえば、ビニールの袋に入った、糖分でしっとりとしてしまったベタベタに甘い菓子だかパンだかわからない食品・・・だったはずです。 でも、ミスタードーナッツの店頭に来てくれれば、数多くのドーナッツの品揃えと、美味しさを味わって貰える・・・まさにSeeing is believingが要点だったはずです。 一に来店促進、二に来店促進。これがミスタードーナッツ・ジャパンのマーケティング大方針だったと思います。 ミスタードーナッツは立ち上げ直後から、オリジナルコーヒーカップの景品プレゼントなど店頭プロモーションを主軸にしたTVCMを打っています。 アプローチの仕方は、日本人無名タレントを使ったもの、白人モデルを使ったもの・・・様々で、前述の梶さんの言う、短期的視野でしか考えないプロモーション広告の結晶☺️のようなCMでした。 ガラッと流れが変わったのは1985年に、明石家さんま片桐はいりの二人を起用した面白CMからです。 youtu.be youtu.be そして、なんと若き日のダウンタウンyoutu.be この面白CMが放映されたのは1985年で、ここからミスタードーナッツ独自の世界が加速するのは、1987年の所ジョージを起用したシリーズが開始されてからです。それはまた次回に。

其の53 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑧ 終章〜

f:id:brandseven8:20210424101057j:plainアメリカのブランド観」というタイトルで梶さんは、数多くの広告理論同様、ブランド理論はアメリカで生まれたと紹介しています。

ブランドは資産であるという考え方を展開したのは、マーケティングを生業としているひとなら周知のディビッド・アーカー*1教授です。その考えがアメリカを席捲したのは1990年代初頭です。

遡ること10年、1980年代の初めアメリカはどんな時代だったかということは注目するに値します。アメリカは石油ショックの影響もあり、デフレ状態に突入、1980年には景気後退 (リセッション)局面に入ります。


今のアメリカからは考えられないですよね。2021年現在(2021年5月15日)、アメリカの株式市場はNYダウが史上最高値を更新しており、特にアメリカの経済を牽引している企業がGAFAGoogleAmazonFacebookAppleテックジャイアント4社です。

これにMaicrosoftを加えればGAFAMの5社となるわけですが。創業年はGoogle 1998年、Amazon 1994年、Facebook 2004年であり、最も古いAmazonからまだ20余年しか経っていない。この3社はその後アメリカ経済を牽引するIT ソフトウェア革命をなしたInnovation Companyです。

Maicrosoft、Appleは創業1975年、1976年ですが、この二社は当初ソフトウェアというよりコンピューターという「ハード」を作るメーカーだったわけです。ビル・ゲーツがPCの画期的オペレーティングシステムWindows95を発売して世界を席巻したのは、文字通り1995年のことです。

話を戻します。1980年代という時代にアメリカは何処にいたのか。1980年代後半は、日本がまさにバブル経済の絶頂にいた頃です。
以下、梶さんの「広告の迷走」から要約引用します。

ちょうど1980年代の後半から、アメリカは深刻な不況にあった。200を超える貯蓄銀行不良債権を抱えてパンク、メイシー百貨店が破産、ロックフェラー・センターをはじめいくつもの有名な建物が日本企業に買収された。
消費は沈滞、1987年のブラックマンデーを経て、アウトレットという業態が生まれアメリカは「激安大国」になった。広告主たちには安売りに走るところが激増した。
そんな最中の1994年、ブランド・エクイティ連盟というところ(全米の主要広告主、広告代理店、媒体社が共同で立ち上げた)が非常に印象的な広告をニューヨークタイムズに掲載した。(表題下の広告がそうです。「広告の迷走」に転載されたものです)
ビジュアルは読者に向かって突き出された人間の足の裏。モルグ(死体置き場)に置かれた死体の足で、親指には50%オフの値札が。
2行のキャッチフレーズ。
ブランドは自然に死ぬのではない。
自殺させられるんです。*2


この広告から紐解いて、梶さんはブランドの持つ真の効果を紹介しています。

安売りは問題の解決にならない、安売りによって買うお客は、もっと安い商品があればそちらに流れてしまう。長年かけて消費者と築いてきたブランド価値を一夜にしてダメにしてしまう暴挙、と警告を発しています。

そしてブランド・エクイティ協会の某氏の次の発言を引用します。

彼らはブランドが金の卵を産むということを忘れてしまったのだろうか。ブランドを適切に管理することによって、ブランドは何年にも渡って利益を生む財産であること、景気が悪い時ほどブランドは威力を発揮すること、を忘れてしまったのだろうか。

ブランド・エクイティ連盟はアメリカが不景気に喘いでいる時に結成されました。まさに、不景気の時だからこそ値下げ競争をするのではなく、ブランドを守るべし、という事だったんですね。

ルイ・ヴィトン・ジャパンを立ち上げた名経営者の秦 郷次郎氏は著書「私的ブランド論」で、ルイ・ヴィトンは値引きセールは決してしないポリシーであると語っています。

ブランドを徹底して大事にする欧米外資系の担当を長くしていて、嫌というほど言われたのはこのことです。

値段を下げてプロモーションをするのはブランドの自殺行為だ、値段を下げることは品質に対する購買者の期待を無意識下に下げる事になり、この悪循環に陥ってしまう。
ブランドに自信があるならば値下げはするべきではない。それはブランドのファンに対する裏切り行為である、と。

しかしながら、何故この分かりやすいテーゼが日本では重要視されないのでしょうか。

それは、日本では商品の種類が多品種であり、ブランド価値といったときに、それが企業のコーポーレート・イメージを意味する事になると誤認識されたからだと確信します。

企業の一つの商品が値引きセールをやったからと言って、企業全体のコーポレートイメージを毀損するわけではないと高を括っているのでしょう。

しかしながら、ブランドというのは会社全体を指しているのではなく、個々の商品の物性を超えた付加価値のある「印象」です。

世界最大の食品会社ネスレは世界で3000を超えるブランドを保有しています。多品種です。

しかしどれをとってもネスレの名前で売るのではなく、個別のブランド名でアピールしています。彼らはそれをプロダクト・ブランドと呼んだりします。

比して、日本ではブランドは商品の上位概念にあたるコーポレート、企業のアンブレラ・ブランドを実質的に意味することが多く、個別の商品をブランドと呼ぶ事はあっても、それは物性的商品を指しているだけです。それはブランドとは言えません。
なぜなら、以前にも書きましたが、「ブランド」とは商品そのものではなく、消費者の脳内に像が結ばれた昇華価値だからです。


本稿を執筆中の現在、2021年5月15日は、前年から世界中を巻き込んだコロナ禍の影響で、まさに不況の谷底を皆が怯えて見つめている「正念場」です。

日本はコロナ禍の起きる前から長年にわたり経済の停滞に苦しんできました。株価が上昇してきたのは日本銀行による異次元金融緩和と株の購入によるわけで、景気浮揚では決してありません。

そんな時代のマーケターはどうすればいいのでしょうか?
これまで8稿にわたり紹介してきた、梶さんが20年前に「広告の迷走」で熱く語ったブランディングの必要性は、たった今この国で当時より尚いっそう高まっているのではないかと思います。

ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔の巻、は本稿で締めることとします。
梶さんの峻烈な批判と助言教示に感謝。

*1:アメリカ合衆国経営学者、マーケティング理論家、コンサルタントである。専攻はブランド戦略。カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール名誉教授、電通顧問

*2:原文ではMost brands don't die of natural causes. They commit suicide.

其の52 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑦〜

f:id:brandseven8:20210507161739j:plain中長期的な視点でのブランディングをするに障壁となる、日本の組織的な問題について、梶氏は伊藤邦雄・一橋大学名誉教授の名著「コーポレートブランド経営」から以下を引用しています。

環境変化が従来とは比較にならないほど不連続で不透明な時代には、ミドルに権限を委譲した経営スタイルは限界を露呈する。
そもそもミドルはリスクの大きい提案はできない。
トップこそが未来の姿を構想し、自ら変革のイニシアティブを取らねばならない。
ミドルや委員会から発案させて、社内のコンセンサスを作ってから進めるという手法は、スピードという点でも問題である。今こそ、トップマネジメント主導の企業変革が不可欠なのである。

どうでしょうか。この本が上梓されたのは2000年です。
この稿を書いている今は2021年5月、21年の隔たりがあるのに、今の日本の企業や政府が抱えている問題と何ら違いがありませんよね。なんてことでしょう。😅

グローバル経済循環系が当たり前になった現在2021年では、そのミドルマネジメント主導の象徴のようなPDCAにのっとったマーケティングは決定にいたるスピードが遅く時代遅れだと言われています。

現場⇄中間管理職で練りに練った案をマネジメント上層部に上申、多くは差し戻し・練り直し工程に。
これではPDCAサイクルのPの部分で既に多くの時間を費やすことになり、世界が競争相手のグローバル・スピード経営の時代にはとても勝ち残れません。

PDCAの進化系として近年よく話題になるのが、OODAというサイクルです。ウーダと読みます。オーダと読みたい気がしますが。そんなことはさておき。

これはObserve (観察) Orient (方向づけ) Decide (意思決定) Act (実施) の略です。Planはどこに行っちゃったんでしょうか? 

私見ですが、PlanはActに内包されていると思うんです、OODAのループの場合。サントリーの創業者の鳥井信治郎氏の口癖であったと伝えられている「やってみなはれ」、これだと思うんです。

観察フェーズで市場動向やら競争状態を見極めて、方向性を定めたら、これでいこうという経営判断をし、そこからは一気にプラン作成と素早い実行・・・これでないとスピードが出ないでしょう。


元々PDCAは工場などの生産現場で生産効率を上げるための改善サイクルとして考え出された手法なので、マネジメント経営判断には不向きなのかもしれません。

特にOODAではDのDecideが肝なのではないかと思います。これこそ経営判断です。

ちなみにブランディングは、企業の中長期にわたるマーケティング意思を反映するものであり、もっと言えば企業の志の写し絵です。トップマネジメントがコミットすべき領域です。「コーポレート・イメージのキャンペーンは宣伝部に任せてある」なんてことではダメなんです・・・と先述のネスレのマウハー元会長も言っています。(・・・はずです☺️)

梶さんの言った「アドバタイジング」をブランドという言葉に置き換えると、今まさに蘇るその意味と書きましたが、実は氏は「広告の迷走」の終盤になって、真意を詳らかにします。以下要約引用します。

ここまで20世紀の日本の広告の道を間違えさせた「躓きの石」について確かめてきたが、実はもう一つ「隠しテーマ」があった。本書の全編をつらぬく通奏低音である。それはブランドなのである。
20世紀の我が国の広告がおかしくなった理由をひとつだけ上げるとしたら、それは広告主や広告専門家にブランドの意識が全く欠落していたことである。
日本の広告が中途半端で、どこかヘンなのは、「商品を売ること」にこだわるあまり、ブランドという長期的な視点と戦略を欠いて、近視眼的なタクティクスに振り回された結果であると思えた。テレビCMが抱えている問題の背後にも、ブランド意識の欠如が見え隠れするし、新聞広告の危機の真の理由もブランド意識の欠落と無関係ではない。

氏が本を書いた2000年初頭は、ブランド・エクイティ、つまりブランドを企業の資産価値としてみる考え方が
マーケティングの世界を席巻していて、この事に以下のように触れています。

いまさら正面切ってブランドのことを取り上げるのは「お前もかぁ」と言われそうなので、ここまで文中ではできるだけブランドという単語は使わないことにしブランドを語ることにしてきた。

なるほど、それで梶さんは「アドバタイジング」という単語を頻繁に書いていたんですね。

本書が書かれてから20年が経ちました。
「中途半端で、どこかヘン」と梶さんが指摘して止まなかった日本の広告は変わったでしょうか? 「商品を売ることにこだわるあまり」中長期的視点でブランドをつくることをしない・・・こんな状況ではもう無くなったのでしょうか。

残念ながら、20年前と何ら状況は変わっていないようにしか思えません。失われた20年ですね。バブルの時からと数えるなら40年? 

しかし、諦める必要はないと思います。

コロナ禍で経済が減速し、不況がくるのではないかとの不安が高まる中、梶さんが注目していた「不況の時こそブランドを守れ」というテーゼについて、次稿は書きたいと考えます。