必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の73 ブランドソーマ・保険の広告

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業種別の広告出稿量調査というのを電通が毎年発表しています。対象はマスコミ4媒体です。

これによると2020年度の総広告費は2兆1,363億円。同年のインターネット広告費はマス4媒体に並ぶ出稿量となったと言われていますので、この調査だけで業界別の動向を判断するわけにはいきませんが、メジャーな流れを見ることはできるかと思います。

 

今日は保険の広告について書こうと思うのですが、皆さん保険業界の広告の量は何位くらいだと思いますか?

保険は金融・保険というカテゴリーに仕分けられているので、銀行やカード、ローン会社も含まれており、純粋に保険という切り取りは出来ませんが、
電通の調査によると金融・保険カテゴリーは2兆1,363億円の総広告費の6・1%で6位なんです。思っていたより多いですか?それとも少ない?


ちなみに、自動車は金融・保険より1パーセント低く、8位なんですね。
1位から3位は、情報通信、食品、化粧品・トイレタリーの順で、全て10%超えてます。10%超はこの3業種だけなんです。情報通信? なにそれ?・・・って思われました?

携帯電話がこのカテゴリーに入るんです。激戦区、携帯電話の出稿量多いですもんね。

 

さて、話は保険です。

以前ブランド・ソーマという考え方について書きました。
世界的な市場調査・マーケティング会社のMilward Brown南アフリカの会長 Erik du Plessis氏が提唱した考えで、簡単に言うと、購買時点で人の購買を誘発する、意識下に刻まれた、ブランドにリンクした好印象 (または悪印象) の刻印のことです。

刻印はブランドのデザインやキャラクターだったり、音だったり、五感にわたり様々です。

 

私が「〇〇保険」と聞いた時に思い出すブランドソーマが二つあります。

 

実際にこのソーマが売上にどれほど寄与しているか、私はデータを持っていないのでなんとも言えませんが、両社が長年にわたりこれらのソーマを継続使用しているわけですから、効果大なりなんだと推測します。効果が認められなければ、とっくにお払い箱ですから。

 

ひとつ目は♪ハロー・チューリッヒのジングルが印象的なチューリッヒ保険です。

チューリッヒ保険会社はその名の通り、スイスで1872年に設立され、現在世界200ヵ国以上で保険業務をしているglobal insurance companyです。

 

自動車保険を中心に営業している損害保険会社ですが、私のアタマに差し込まれているイメージは、ヘッドセットマイクをして、電話で相談に乗ってくれるオペレーターの綺麗な女性です。記憶にあるかと思いますが、如何でしょう。

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自分的には保険は、会社に訪ねてくる女性の保険外交嬢が机の横に座り込んで、イエスというまであの手この手で商品を繰り出して圧を掛けてくる営業手法がディファクトスタンダードだったんですね。生命保険ですが。いまは、会社はセキュリティー対策でフラッパーゲートを付けているとことも多く、保険の外交員さんも以前のように気軽に入る事は出来ないと思います。

 

ヘッドセットマイクを装着して、顧客と電話で保険の委細を詰めていくというこのスタイルは、私の記憶では、チューリッヒ自動車保険が最初だったように思います。今は他社がどこもやっていますけど。

 

チューリッヒ自動車保険のヘッドセットマイクを付けて喋るオペレーターは、女優の松木里菜さんが2006年から演じていて、今でも続いています。現在は俳優・歌手の石丸幹二さんがメインでCMをやっていますが、松木理恵オペレーターも健在です。

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松木里菜さん

 

このTVCMで作られたブランド・ソーマはヘッドセットマイクをつけて相談に応じているオペレーターの図。ブランド・ソーマによって誘引されて繋がっていく昇華ブランドイメージは「納得」だと思います。保険外交員さんのペースに乗せられて、うまいこと丸め込まれた感がどうしても強くて、後になって余計な保険項目を追加して高くなってしまったんでは・・・という「疑問」がどうしても残るのが保険なんですね、私の場合。皆さんはどうですか?

 

でも、このように自動車保険をオペレーターさんと詰めていき、不要な条件をカットしていくことができるなら、安心です。結果的に安くなることも大事ですが、むしろ「納得」した安心感のほうが大きいです。

 

ブランド・ソーマはヘッドセットマイクをして相談に乗るオペレーター、誘因される先のブランド・イメージは「納得」安心感と思いますが、実はマーケティング戦略的にもきっちり消費者の心理をおさえています。

 

マーケティング戦略で「プロスペクト理論」の活用というのをお聞きになったことがある方は多いでしょう。

 

人間の「損をしたくない」という気持ち、得をするより損をしたくない気持ちが勝る、という性質を利用するマーケティング手法です。損失回避性、つまり無意識に「得を求めるより損を避ける」人間の心理のことですね。

 

オペレーターが相談に乗って、「不要な」条項をカットしていくというのは、「今まで知らないで付けていた事による損失」を無くすという、まさに損失回避そのものです。よく出来てます。入っちゃいますね。😄

 

さて、私が思い浮かべた保険のブランドソーマ、もう一つはなにか? 別稿で書きたいと思います。ヒントはドナルド。😄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其の72 広告の見巧者・向井 敏 ⑦ 終章

 f:id:brandseven8:20211120092653j:plain本稿でとりあげてきた向井 敏氏の著書「紋章だけの王国」が書かれたのは1977年のこと、この6年後には増補版が出て、民間放送が開始された1953年を起点とした広告の30年史と謳っています。

 1976年時点で、向井さんは民放開局以来二十数年の広告の来し方を、広告素材を3つの特性で仕分けし、3つの時代に区分けしました。

曰く

① コマーシャル・ソング (1955年〜62年)
② キー・ワード (1963年〜65年)
③ フィーリング(1967年以降)

 これに大きな流れにはなることがなかったと氏が指摘している「U.S.P.アプローチ*1」を加えると4つのカテゴリーとなります。

 しかし、膨大な本数となるTVCMを4つのカテゴリーに整理し落とし込むのは、流石に無理があります。

 何せCMは年間に180万本も放映されているのです。

 Video Reasearch の統計によると、関東地区民放5局のCM総出稿量は2018年に27,099 (千)秒、全てを15秒スポットと仮定すると*2 180万6,600本のCMが放映されたことになります。1日あたり4,949本。

 30年史というならば、かなり乱暴ですが隔年2018年並みの出稿本数があったと仮定するならば、30年間で5,419万8千本。1CM素材が五百回の放映だっったとして108,396本、30年間に10万本を超える新素材が流れた計算になります。

 この10万本を何らかの傾向性質に仕分けすることは、盤根錯節*3、難中の難に思えます。


 「紋章だけの王国」では、向井氏はあえてこのCMの流れを傾向別に整理整頓することに試みているわけですが、流石にこれは辛かったようです。整理不整頓であったのはやむを得ません。それは無理なことです。

 会社が製品サービスのTVCMを制作するのは「一件一葉」で、その都度その都度、様々な思考工夫の挙句に一本のCMが産み出されるわけです。

 繰り返し使える共通のテンプレートがあるわけではありません。

 そう言う意味では、CMは再生産性が極めて低い非効率な「製品」と言えます。

 ですが・・・CMを送り出す側(企業+広告制作者)と受け取る側(潜在購入者)の二者視点でのみ捉えるなら、広告は二種類しかないと思います。

 潜在購入者の関心・好感・共感を得るに効果的だったCMとそうでないもの。この2種類のみ。

 コマーシャルソングを基軸にしようが、キーワード(キャッチフレーズ)、フィーリングを基軸にしようが、出来上がったCMが潜在購入者の3K(関心、好感、共感)を得ることができず、記憶に残ることがなければ、そのCMは効果なく散っていったというだけのことです。単なる失敗作です。

 その視点で捉えると、植木等の「なんであるアイデアル」のキャッチフレーズで短期間で急成長した洋傘メーカーのアイデアル、フィーリングCM とカテゴライズされたレナウンのニット素材服のCM「イエイエ」、富士ゼロックスの企業CM「モーレツからビューティフルへ」、全ては効果的だった勝ち組CMと捉えれば良いのだと思います。


 逆にここで記すことは不可能なほど多いであろう、効果的でなかったCM失敗作の瓦礫の山。

 失敗の理由は、コマーシャルソング、キャッチフレーズ、イメージ、何を基軸にしたかによるのではなく、広告対象の商品サービスを十分に腑分けして潜在購入者が惹きつけられるような仕掛けをつくる、これができなかったことに尽きるのだと確信します。

 そうした事情もあり、当事者ではない観察者によるCM評は一件一葉で散文的なものになるのが必定だと思います。

 私が「見巧者」と見立てている向井 敏、岡田 茂、天野 祐吉、三氏の広告に関する著作はいずれも優れたなエッセイです。

 マーケティング的な視点というより、表現を純粋に見ていくもの。それでいいのだと思います。メッセージの受信者=潜在購買者はマーケティング視点なんて関係のないことなのですから。

「紋章だけの王国」の最後にはテレビCM年表(1953年〜1982年)という資料が付されています。

 これは1年1ページで、上段には簡潔にその年の代表的なCMを氏の提唱した「CMソング」「ヘッドライン」ごとに記し、併せてその年のテレビ受信契約数と広告費、下段には話題となったテレビ番組と社会事象、風俗流行をまとめたものです。

 この30ページは見応えがありますし、昔の写真アルバムを久しぶりに見つけ出し、時の経つのを忘れて見入ってしまう感じと同じです。やめられない、とまらない*4


 

 氏にはこの「紋章だけの王国」に続き1982年に上梓された「虹をつくる男たち コマーシャルの30年」というエッセイがあります。

 民放開局以来の多くのCMの来し方をCMの持つ特性からカテゴライズすることを試みた「紋章だけの王国」に比べて、異なる媒体に発表してきたCM評をランダムに再掲したエッセイ集は、肩の力を抜いて読める秀作です。

 いずれこの「虹をつくる男たち」のご紹介もするつもりです。

 さて、七回に渡って綴ってきた広告の見巧者、向井 敏 氏 篇は、本稿をもって終章といたします。
 






 

*1:商品サービスの持つ差別化できる独自の特長を基軸にして広告を制作する手法

*2:同年のタイム30秒CMの割合は25%なので、15秒換算すると実際は25%増えます。

*3:ばんこんさくせつ。物事が入り組んでいて、解き解くすることが難しいこと。

*4:よく知られている「カルビーかっぱえびせん」のキャッチコピーです。

其の71 広告の見巧者・向井 敏 ⑥

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日本損害保険協会のTVCM 1975年
   東レの「イエイエ」の後を追うフィーリングCMの系譜として、向井さんは藤岡和賀夫*1さんのプロデュースした富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」とJRの「Discover Japan」を挙げています。   「イエイエ」TVCMは1967年の放送、「モーレツからビューティフルへ」も「ディスカバー・ジャパン」もその三年後の1970年に始まったキャンペーンです。  余り多くの例が取り上げられていないのは、確固とした訴求すべきイメージもなく、只々「雰囲気」を音楽や映像で作ったTVCMが多かったからでしょう。玉石混交、しかも主に石。☺️  玉は少なく石の多いような状態でも、こうしたTVCM作りは続きます。  なぜか? その辺のことを向井さんは以下のように言及して、バッサリと切り捨てています。
なぜか。理由はばかばかしいばかり単純であって、派手で「ハッピー」なイメージをばら撒くだけで容易に商品が売れたからである。なまじ商品にこだわるよりも、はなやいだ生活を描き、ゆたかな明日をうたい、屈託なく笑う若者たちを大写しにし、外人スターを颯爽と登場させるほうが、商品の需要を伸ばすのにずっと効果的だったからである。フィーリングたっぷり、夢いっぱい、ひたすら美しい「鑑賞用」CMであることが、同時に最も強力な「売る」CMとして機能したからである。
 藤岡さんの稿(其の43−45)で触れましたが、まさに日本はこの時代に高度成長期の真っ只中にありました。つまり、世の中は年々増えていく収入に支えられた消費意欲に満ち満ちた人々で溢れていたんです。TVCMや新聞雑誌で新商品を世に知らしめれば、それだけでも売れていった時代です。  梶 祐輔さん*2(其の46−51)に言わせると、それが日本の広告を迷走させた原因となるんですけど。  一方で、こうしたフィーリングCMへのアンチテーゼのようなU.S.P.*3訴求のTVCMも出てきました。  前稿で取り上げましたが、セメダインのTVCMを其の代表例として向井さんは取り上げています。セメダインで接合した2枚のブルドーザーに繋がれた鉄板を剥がそうと、ブルドーザーが逆抜きに動いていき、板は剥がれずついに鎖が断ち切れる・・・というCM。接着力の証明ですね。  この系譜にあるTVCMとして、自動車保険のTVCMが代表例としてあげられています。
三月と四月の両月、花曇りの空を引き裂くようにしてひとつの大胆なアピールが発せられ、ひとびとの耳目をそばだたせた。損害保険協会が行った自動車保険のキャンペーンである。 男がひとりいる。頭を低く垂れ、肩を深く落とし、背だけを見せている。自動車事故の加害者である。その背を鞭打つ厳しい言葉。「それでもあなたは人間なの?」これは印刷広告のヘッドラインだが、TVCMもこれに劣らず激しくて、「彼は世間に顔向けができません。」「今日ハンドルを握るあなたの明日の後ろ姿かもしれません」と重々しい声が語りかける。(月刊アドバタイジング・1975年6月号)
 実はこの文章を書いたのは向井 敏さんです。 「見事な恐怖訴求手法のTVCMだが、そんなことより注目すべき点は、明確な主張をしていることであり、何故この商品が貴方に必要なのかが鮮明である」と、本質に迫るU.S.P.アプローチとして刮目する広告である、と語りこの日本損害保険協会の「後ろ姿」篇TVCMを絶賛しています。  1975年放映当時、私はまだ免許を取得していませんでしたが、このCMはよく覚えています。免許をとって車を運転するが少し怖くなった記憶があります。  実は向井さんが触れていない重要な、締めのキャッチコピーがこのTVCMにはあります。  それは「せめてもの償いが保険です」  自賠責保険自動車保険 という最後のテロップです。  この一行が欧米流マーケティングで言うところの「PROMISE」です。要は、この商品・サービスを購入すると、どういうメリットが約束されるのか、ということです。U.S.P.訴求では、このPROMISEが一番大事なんですね。要は何の得があるの? 消費者の知りたいのはそこですから。  「起こした事故はなかったことにはならない。もう遅いんです。」と追い込みまくって、せめてもの償い・・・とくる。これ実に説得力があります。自動車保険の必要性を一言で表していますよね。  優れたU.S.P.アプローチCMは実は優れたブランディングになっていて、優れたイメージCMもブランディングになっているというのが私の持論です。  向井さんが対照的に見ていたイメージCM(フィーリングCM)とU.S.P. アプローチのCMは、優れたものはどちらもブランディングしていると思うんです。  ブランディングというのは、「その商品・サービスを諸有した時に感じるであろう満足感」の昇華したものです。  先出の自動車保険であれば、「交通事故を起こしてしまったが、自動車保険に入っているので、被害者へせめてもの償いができる」自分のありたき姿を想うということです。これってちゃんとブランディングができていると思います。  イメージCMと向井さんが位置付けた富士ゼロックスの企業広告「モーレツからビューティフル」。自由な若い世代のアイコン的存在であった加藤和彦がロンドン・ファッションに身を包み、”Beautiful”とメッセージの書かれた紙を手にし、銀座通りをゆっくりと歩く。そして「モーレツからビューティフル」のテロップが画面に現れる。  ただそれだけのCMでしたが、明らかにそれまでになかった雰囲気を醸し出していました。これを見て、世をあげての高度成長モーレツ人間ではない、「新世代」である自分のありたき姿を人々は想ったはずだと思うのです。  実際このTVCMの放映された翌年採用には富士ゼロックスへの就職希望者は激増しました。その意味でも、このCMは単なるイメージCMではなくて、ブランディングCMだったと確信します。  つまり、優れた広告とは、それがU.S.P.アプローチであろうがイメージ訴求のものであろうが、すぐれたブランディングとなっているということではないか、と。  

*1:ふじおか わかお。1927ー2015。1970年代にJRのDiscover Japan や、いい日旅立ち富士ゼロックスのモーレツからビューティフルへなどのキャンペーンを仕掛けた電通のプロデューサー。

*2:かじ ゆうすけ。1931ー2009。1959年、日本デザインセンターの設立に参加したコピーライター、クリエイティブ・ディレクター。

*3:マーケティング用語。Unique Selling Propositionの略。製品・サービスの独自の強みの提示・提案のこと。

其の70 広告の見巧者・向井 敏 ⑤

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アロンアルファのCM

 1965年〜67年ごろ、CMと言えば、むやみと商品名を連呼したり、人騒がせな惹句をまくしたてたりする泥くさいものか、さもなけば、商品カタログをなぞるだけのいたって退屈なものというのが世間の通り相場であって、さきの記事に「CMという言葉の持つ押しつけがましさ、いやらしさ」とあるのも、CMの一般論であるよりは、当時のこうしたCM事情を伝えるものであったろう。
 
 それだけに、「イエイエ」のさぐり当てた洗練された明るさ、楽しさ、リズム感、ひとことで言って「現代的」な感覚にうったえるエンターテインメント性はまさしく画期的というに値し、それに気がついたCMの作り手は争ってこの豊かな鉱脈にとりついたのだった。

 向井 敏さん著の「紋章だけの王国」からの引用です。
 前回から続けて読んでいただいている方にはお分かりでしょうが、この段落は1967年に放送された東レの合成繊維ニットウェアのTVCM ”イエイエ” の礼賛です。

 さきの記事、とあるのは朝日新聞がこの TVCMを褒めちぎった記事のことです。

 アンダーラインを引きましたが、「CMという言葉の持つ押し付けがましさ、いやらしさ」というのが当時のアンチCMの通り相場的気分を表しています。向井さんもこの記事を紹介しつつ、同意している様子です。

 でも。ちょっと待ってください。 TVCM、Television Commercial Messageですね、これって企業が多額の広告予算を投じ放映枠を買って、その枠に素材を流してモノ・サービスを皆に購入してもらおう、っていう企業活動なわけですよ。

 15秒スポットの中で、できるだけ商品メッセージを入れ込みたいと考えるのが自然です。企業側の立場にたてば当たり前の成り行きです。

 それを「押し付けがましい。いやらしい。」と言われたんじゃ立つ瀬がありません。

 訴求する、ってことは別な言い方をすれば押しつけることですから。「これから訴求していいですか?」とは聞きませんよ。😀

 記事を書いた朝日新聞記者さんの心の中ではどこかにきっと「公共の電波を使って、宣伝広告するなんて、いやらしい」という気持ちがあったんでしょうね。
 公共の電波に流す番組枠の一部を企業に広告枠として売っているんだから、いやらしいのはまずは民放各社というのがロジックですよね。☺️

 と、まぁ企業側の目線で考えてみました。でも私は企業と消費者・購買者の間を取り持ってきた広告人なので、どちらの言い分もわかるんです、実際。

 メッセージを受ける側から言えば、そりゃ動くカタログみたいなメッセージてんこ盛りなCMなんて何の魅力もないし、心に届かないっしょ、と言うのが素直な反応です。

 以前ご紹介しましたが、この点については元電通大阪のクリエイター、現在近畿大学教授の山本良二さんの言葉が実に説得力があります。

 其の22で書きましたが、山本氏は宣伝会議のインタビューで以前勤めていた電通での仕事を振り返って、以下のように発言しています。

「広告を見たい人なんて、一人もいない。そういう前提に立って企画することが大事なんや、そう言われながら仕事をしてきました。」

「しかも15秒CMなんてあっという間に終わってしまいます。あなたが冷蔵庫から缶ビールを取り出してひと口飲む前に、僕たちがつくったCMは既に終わっているのです。当然のことです。CMなんかを見るよりもおいしいビールが飲みたい。そう思うのが人間というものです。」

「CMなんか」。そうですよね。先述の朝日新聞の記者さんもそう思っていたはずです。

「CMなんか」と思われているからこそ、工夫を凝らして視聴者の心にメッセージを打ち込むことにクリエイターは心血を注ぐわけです。

 そうした観点から作られたか、それともそれまでの15秒、いや5秒の一言勝負のCMに対するアンチテーゼだったのか、実際のところは分かりませんが、東レの「イエイエ」は世に登場し、喝采を受けました。

 しかしです。業界で「イエイエ以降」という言葉ができたとは言え、その後のTVCMが一斉にイエイエ的フィーリングCM*1一辺倒になったわけではありません。

 1967年*2は、実は商品の持つ主張や特性を一つのテーマに集約し、それを商品に即してアピールするという、いわゆるコンセプトCM作法、当時の用語法に従えば、「セールス・ポイントをセールス・アイデアに転化させる」構成法が力を得ようとしていた年でもあった。

 と、向井さんは書いています。
氏が「セールス・ポイントをセールス・アイデアに転化させる」構成法と表現したコンセプトCM作法とは、今で言うU.S.P.アプローチでしょう。

「この系統のCMでは記念碑的な力作」として挙げられているのが、セメダインのCMです。イエイエと同じ1967年に放映されています。

 どんなCMだったか。

 セメダインで接合した2枚の鉄板を2台のブルドーザーでひきはがそうとかかるのだが、逆にブルドーザーにつないだ太い鉄鎖が音を立てて断ち切れるという、接着能力を劇的に実証するCMで、語られることばも「セメダインで困るのは一度接合したら二度と引き離すことができないことです。」と直截鮮明。企業の主張、商品の特性の明確なテーマ化という点で、当時はもとより、今なおこれをしのぐCMは数少ない。

 と、氏はこのCMを絶賛しています。

 残念ながらYouTubeで調べてもこのCMは出てきません。
 ですが、私は鮮明に記憶していますので、相当インパクトのあるCMだったんです。

 よく接着されるという特長を、驚くほど「剥がすことができない」という地点まで表現したことの訴求力の強さでした。

 まだ小学生だった私は「じゃあ、指に付いてしまったらどうなるんだ。ナイフで皮膚を切るしかないじゃないか!」と恐怖心を覚えた記憶があります。

 このCMの系譜はその後、瞬間接着剤のアロンアルファに引き継がれます。

 ヘルメットを被った人がオートバイをウィリーして、前方のアロンアルファを塗布した板に前輪をぶつけると、前輪が板にくっついてしまい、ドライバーはバイクから降車する・・・というCM*3、記憶にありません?

 まぁブルドーザーも、バイクにしても、こんな接着用途はあり得ませんけど、極端に振る手はコミュニケーション・テクニックの常道ですから。

さて、このイメージとU.S.P.の二大アプローチのCM史におけるその後の進捗については、次回考察したいと思います。

*1:向井氏の表現。イメージCMと言ったほうが近いかも。

*2:東レの合成繊維ニット服の「イエイエ」CMが放映された年が1967年。

*3:このCMはYouTubeでアロアルファでチェックすると出てきます。

其の69 広告の見巧者・向井 敏 ④

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東レのTVCM


 向井 敏さんが著書「紋章だけの王国」でTVCMが初めて日本に登場してからの変遷を次の三期に仕分けました。
① 「コマーシャル・ソング」(1955年〜62年)
② 「キー・ワード」(1963年〜65年)
③ 「フィーリング」(1967年以降)

 前々回其の67で「コマーシャル・ソング」の時代、前回其の68では「キー・ワード」の時代と考え進めてきましたが、本稿ではいよいよ最後となる「フィーリング」期について考えてみたいと思います。氏がこの著作を上梓したのは1977年初なので、1967〜76年の9年の期間のことと理解して良いでしょう。

 しかし、「フィーリング」の時代とは何でしょう、いったい。

 氏の評論を見て、今から振り返ってみると「フィーリング」とは「イメージ」に置き換え、解釈するとちょうど良いかと思います。

 さて氏が「フィーリング」コマーシャル(イメージCM)と表現したもの、それは何なんでしょうか。

 代表的なTVCMとして東レ*1の「イエイエ」のコマーシャルが紹介されています。この項のタイトルは

4章「ザッツ・エンターテインメント」イエイエの衝撃

 氏が「衝撃」と謳った1967年にオンエアされたこのコマーシャル、それまでの日本にはなかった種類のインパクトがありました。昭和世代、特に戦後生まれの団塊の世代の人々は鮮烈な印象とともに記憶しているかと思います。

 どんなコマーシャルだったんでしょうか。
YouTubeで「東レ イエイエ」と調べてみてください。すぐに個性的なポップなCMが出てきます。


 これはボンネルという合成繊維を使ったニット服の広告なんですが、当時のポップアート感をフィーチャーしたイラストと実写の組み合わせで、独特のスピード感がありました。イエイエというのは、英語でのYeah Yeahでしょう。でもカタカナでイエイエと表現しているのがミソですね。

 このCMは1967年夏にNET(現テレビ朝日)の看板番組だった日曜洋画劇場に60秒の長尺で放送されました。15秒から5秒CMへと猛進した、向井さんが「キー・ワード」期と言った短尺時代を嘲笑うかのようなCMでした。

 この耳について離れないCM音楽を作曲したのは当時は新鋭だった小林亜星さん、歌は個性派歌手の朱里エイコさん。ポップ感を打ち出したイラストは小林亜星さんの実妹川村ゆきえさんで、制作を電通の今村 昭、演出を岩本力...ピッカピカの才能人たちが手掛けていたんですね。

 このCMはその年1967年のACC CMフェスティバルのグランプリを取ることになります。

 放送回数は多くなかったのにも関わらず、CMの斬新さは耳目を集め、東レのニット・セーターとスカートは売り場に出るとすぐに売り切れてしまったそうです。


 このインパクトを朝日新聞が以下のように記事にしたと、向井さんは書いています。

 ちょっと長くなりますが、要約引用します。

イエイエというCM知ってますかと、4、5人のサラリーマンに聞いたところ、「知ってる知ってる。スポットでよく見るよ。」と答えた。広告界の話題をさらったこのレナウンのCMが流されたのは日曜洋画劇場で三十回だけ、スポットは打っていない。

なのに皆このCMをたくさん見た気になっているのは、ソバカス娘のイラストが実写のファッションモデルが袖を打ちつけ合うシーンに変わり、広げた英字新聞が現れるとイエイエの吹き出し、逆立ちした軍艦からもイエイエの吹き出し…と、パッパと変わる無意味なシーンの連続に、ビートのきいたリズム。いかにも現代的な清新さを感じさせ、CMの持つ押しつけがましさ、いやらしさを捨て去っていて楽しい。


「イエイエ以後」と業界では言われたほど、このCMが業界にもたらしたインパクトは大きかったようです。

 向井さんは、この流れで作られたCMの代表的なものとして、其の44の回でご紹介した藤岡和賀夫さんがプロデュースした富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」キャンペーンを挙げてい、これをきっかけに精神的ゆとりをテーマとしたイメージCMの時代が始まったと見立てています。

 実際にはその頃は高度成長が加速した「モーレツ礼賛」の時代であったのだが、その成長でもたらされた暮らし向きの高度化、安定をCMの作り手は強引に「精神的なゆとり」に置き換えた、と氏は書いています。

 生意気ですが、この点では私は異論があります。向井さんの見立てのように「強引に置き換えた」のではなく、高度成長モーレツ時代、豊かになる暮らしには満足しつつも、疲れが蓄積していった人々は「ゆとり」にも実は憧れていたというアンビバレントな気持ちに肉薄したのが、「モーレツからビューティフル」であり、「Discover Japan」だったのだ、と私は考えます。

しかし、時代というのはそう簡単に切り分けられるものではないんですね。向井さんが「フィーリング」の時代と称した、「イエイエ」に代表されるイメージ訴求のCMの隆盛と並行して、商品の特性特徴を見事に表現する、いわばU.S.P.アプローチの秀逸なCM群があったと氏は書いています。その代表作としてセメダインのCMをあげています。

 それについては、次回に。

*1:合成繊維を中核事業とした大手化学企業。1926年創業。旧社名東洋レーヨン。三井グループの中核企業の一社。

其の68 広告の見巧者 向井 敏 ③

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(株)アイデアル TVCM 植木等出演

広告会議で日本を訪れるアメリカの広告人たちは、商売熱心なのか、物見高いのか、この国のCMがやたらと気になるらしくて、実に熱心にテレビを見る。彼らにその感想をたずねてみたまえ。まず例外なく、CM秒数の短さを言うだろう。15秒がやたらと多いが、あんなミニ・スポットで、どうして商品について必要なだけのメッセージを伝ええることができるのか、そう言って肩をすくめて見せるだろう。皮肉と持つかず、不審ともつかず。


 いきなりですが、向井 敏 氏の「紋章だけの王国」第3章 5秒のいのち〜ミニ・コマーシャルの発想法〜の冒頭を引用しました。

 以前書いた日本デザインセンターの創設メンバーであるクリエイティブ・ディレクター梶 祐輔 氏の項を思い出します。

 15秒スポットという端的に短い時間の制約を受けて、日本の広告は迷走してしまったと嘆く梶さん曰く。

日本のコマーシャルに詳しい外国人クリエイターの友人は、我が国のTVCMの構造を「タレント、そしてトツゼン、ショウヒン」と言って冷やかす・・・

 向井さんと同じ指摘ですね。

 でも、向井さんがここで「ミニ・コマーシャル」と言って指してるのは15秒スポットではなく、書いてあるように5秒スポットなんですね。5秒です!

 初期のTVCMは60秒、30秒が中心で、15秒は傍流にしか過ぎなかったのですが、1961年秋にステーションブレイクのTVスポットCMの単位が30秒から15秒に短縮されたことをきっかけに15秒スポットが一躍メジャーなものになりました。

 翌年1962年には、なんと5秒TVスポット枠まで認められることになったんですね。これは多分TV局の増収目的のことであったはずだと、向井さんは書いています。

 そもそもネットワーク局の切り替えのための時間を切り売りしたのがステーションブレイク枠です。5秒枠も売り上げ最大化計画であったとしてもなんの不思議もありません。

 さて、話は5秒スポット枠でしたね。

「ノンモン」って言葉は聞いたことありますか?

 すべてのTVCMにはノンモンと言われる無音の部分を作る必要があります。これは、CMとCMが繋がらないように、区別がつくように区切りをつけるために、画像は出ていてもサウンドドラックに無音部分を設けたものです。ノンモジュレーション(Non-modulation)の略なんです。

 で、この無音の部分というのはCMの前後に0.5秒ずつ、計1秒つくることになっています。CMの長さにかかわらずこれは変わりません。

 CM撮影に使うフィルムは35ミリで、これを1秒30コマ(30フレーム)で回します。0.5秒ずつ、つまり15コマずつ画像はあっても無音のコマを設定することが必要なんです。

 60秒の長尺CMでもノンモンは0.5秒ずつ計1秒、30秒でも同じ1秒を無音にします。

 てことはですよ、5秒CMに許された有音部分はたった4秒*1しかないんですよね。これでは余計に商品名言うのが精一杯、長いと商品名ですら入りません。

 許されたこの短尺秒数の中では商品の特徴など伝えらるわけもありません。商品名を繰り返しても効果は見込めません。というか繰り返すこともできず、下手したら時間内に言い切れません。😀

 中国の人なら誰でも知っている成句に「上有政策、下有対策」というのがあります。上(政府)に政策あれば、下(民)に対策あり、という意味なんです。強かなんですよね。国が無理言っても、なんとか工夫してどうにかする!ってことです。

 で、5秒CMが急増する中、広告主と広告代理店制作者はこの短秒数の制限内で人を惹きつけるための手を捻り出しました。

 それが「キー・ワード」一本釣り手法です。

 キー・ワードと表現したのは向井さんです。これって、現代的にいうと「キャッチ・フレーズ」になると思います。
一本釣り手法は、私の命名。😀

 キャッチ・フレーズはCMの中で商品の特徴・セールスポイントを短いフレーズで表現する大事な要素の一つですが、5秒CMでは(正確には当時音声3.5秒CM)、要素のひとつどころじゃなくて、それがすべてを占めます。

 どれだけキャッチーなフックのある言葉を編み出すか、これに全力集中の時代がきます。

 そのようなわけで当時,「キャッチコピー・オンリー」5秒CMが雨後の筍の様に濫造されたようですが、個人的に私がかろうじて記憶しているCMは2本しかありません。

 「無責任男」の植木等が「なんである、アイデアル」と一言言う洋傘のCM*2。タイトルの写真に貼り付けたやつです。

 もう一本は喜劇俳優伴淳三郎が「かあちゃん、一杯やっか」と一言言う伏見の日本酒「神聖」のCM。

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神聖TVCM 伴淳三郎出演

 植木等伴淳三郎もホントに一言だけです。5秒CMですから。😀

 2本しか記憶にないと書きましたが、実はそれ以外にもう1本あって、これはCMというより、一社提供番組の冒頭でスポンサーメッセージを入れてきた、昭和の大ヒット番組の一つ、「てなもんや三度笠」で,「あんかけの時次郎」*3演ずる藤田まことが発する「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」のCMメッセージ。ちょうど5秒くらいですね。

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てなもんや三度笠

 多くの5秒CMが、藤田まことの例を引くまでもなく、タレントに短い惹句を言わせるパターンでした。タレントプラス惹句の組み合わせに効果を期待した…これって今と変わりない様な気もしますが。😁

 ともあれ、向井さんが「キー・ワードの時代」と名付けた時期は、1965年末にTBSがAタイム枠(午後7〜9時)の5秒スポット枠を廃止したことをきっかけに、急に衰退することになります。

 向井さん年表によると1963〜1965、足掛け3年の命でした。 

 そして業界はより長い😂15秒スポット万能の時代に入っていきますが、先述した「タレント+キャッチフレーズ」一本釣りの鉄板パターンは、その後も日本のTVCMの通奏低音として生き延びていきます。

*1:「紋章の王国」で向井さんはノンモンが1.5秒あるので、5秒CMの有音部分は3.5秒しかない、と書いています。この当時はノンモンが今より更に長かったのでしょう。

*2:東京都台東区にあった1936年創業の洋傘メーカー。2006年に倒産。

*3:1928年に長谷川伸が書いた戯曲で何度も映画化された任侠物の名作「沓掛(くつかけ)時次郎」をもじった役名。

其の67 広告の見巧者〜向井 敏 ②〜

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「紋章だけの王国」増補版 向井 敏 著 潮出版 昭和58年(1983年)
< 向井 敏 氏が「紋章だけの王国ーTVCMの歴史と構造」を上梓したのは1977年のことです。民放開設の1953年から数えて20年余、氏が"誰も専門家がおらず試行錯誤でTVCMなるものを作っていた" と、その時代を回想した初期の頃からの変遷は実に面白い右往左往の「試行錯誤」です。

 この著作から6年後の1983年に氏はTVCMの30年史として新たに増補版を出版しました。改訂はせず、10章からなる原版に加えて補遺の一章を加えて30年通史としたのです。

 後2年するとTVCM50周年となり50年史が書けることになりますが、1983年に上梓されたこの著書では主だったTVCMのtransformationはほとんどカバーされているように感じます。いわばTVCMが元気だった頃の記録です。

 アメリカの広告界がおこなってきた、商品の特徴・優位性を中心に広告を制作するU.S.P.アプローチとは異なり、日本の広告は15秒テレビスポットを主要メディアにしたために、独自の進化発展をします。

 以前ご紹介した梶 雄輔 氏は舌鋒鋭くそれが日本の広告の迷走を招いたと批判しました。進化じゃなく、退化であるかのように。


 とはいえ、試行錯誤からドラスティックに日本的な変化を遂げていくTVCMのありようを向井氏の著書「紋章だけの王国」に沿って見ていくのは一興です。

 さて、先稿に書いた「生コマ時代」を経て、変遷を遂げていくTVCMのありようを向井氏は次の三つをCM制作者が「命綱」*1にした時代として三つに切り分けました。

すなわち、
① コマーシャル・ソング (1955〜1962)
② キー・ワード(1963〜1965)
③ フィーリング(1967以降)

 本稿では①のコマーシャル・ソング(以下CMソング)について見ていきます。

 初めてのCMソングは1954年の「やっぱり森永ね」で、作詞作曲・三木鶏郎、歌・中村メイコ、古賀さと子、灰田勝彦宮城まり子三木鶏郎

商品名や特徴を歌い込んだCMソングに効果あり、とわかると、はじめに歌ありき、CMソングを主軸にするCM制作手法が定着していく。

「ワ、ワ、ワ、ワが三つ♪」と歌われた三和石鹸(1954年)、カーン、カーン、カネボウ」のカネボウ毛糸(1956年)、「メンメン、メイジ」の明治チョコレート(1957年)など、量産された。

歌は味付けではなくて、CM構成の軸芯となっている。CMソングの作詞作曲家が今のCMプランナーなのだ。

これらの多くのCMソングを手掛けたのが三木鶏郎氏である。

「紋章だけの王国」より概略引用。


 三木鶏郎氏(1914〜1994)は、戦後から昭和30年代にかけて大活躍した作詞・作曲家です。

 1951年に日本初のCMソング ”僕はアマチュア・カメラマン”を小西六写真工業コニカミノルタ)のために作り、戦前から活躍していた歌手であり俳優でもある灰田勝彦氏が唄を歌いました。

 と言っても、1951年は流石に私も生まれる前のことです。聴いたことがなかったので、YouTubeで「僕はアマチュアカメラマン」と打ち込んで調べてみると、灰田勝彦さん歌うCM曲が聴けました。やはり聞いた記憶がなかった。😁

 自分の耳に残っている三木鶏郎さんの手による曲は、なんと言ってもCMソングではミツワ石鹸の「ワ、ワ、ワとワが三つ」、松下電気産業(現ナショナル)がTV番組ナショナル劇場のオープニングで使っていた「明るいナショナル」です。

 TV番組主題歌では、鉄人28号江崎グリコが一社提供スポンサーであったので、主題歌の前奏と終わりの部分で「グリコ、グリコ、グーリーコー」と歌い込まれているんですね。凄いスポンサーファーストっぷりです。😀
 
 これ、耳について離れません。


 向井さんが「コマーシャル・ソングの時代」と評したこの時期ですが、それまでのラジオCMの影響が大きかったのではないかというのが氏の見立てです。

 初の民放である日本テレビが開局した1953年、ラジオの登録世帯数は一千万超、一方のニューメディア・テレビは3,600台だった由。ラジオ東京テレビ(現TBS)が開局した1955年でもやっと10万台に届いたに過ぎません。

 つまりCM制作の主力は当時は依然としてラジオCMであったわけです。ラジオCMに特徴的だったのはCMソングを主軸としたCM制作なんですね。

 ながら試聴が基本のラジオでのCMは、小難しいことを言っても視聴者の記憶には残らないので、単純明快で耳に飛び込んでいくCMソングが鉄板だったのだと推測します。

 込み入ったメッセージは無理なので、スポンサー名、商品名をとにかく歌に織り込むことに全力集中。

 当たり外れが少なく制作者が重宝したというCMソングを基軸とするTVCMは、しかし民放開局から10年もすると下火になっていきます。

 なぜか?

 メディアの趨勢が変わったからです。

 1962年初頭にはテレビの登録世帯は一千万を超え、ラジオとの媒体価値が逆転、以後テレビの大躍進が続きます。

 しかも、短い広告オンエア時間を効率よく切り売りするためにテレビでは5秒スポットが多く売られるようになり、5秒ではサビすら表現できないCMソングは一気に下火となったそうです。向井氏が「CMソングの時代」と表現した時期はこうして終焉します。

 次稿では「キーワードの時代」と氏が切り取った時期をご紹介したいと思います。

*1:表現の主軸にしてコミュニケーションすることを氏は意味していると思います。