東レの「イエイエ」の後を追うフィーリングCMの系譜として、向井さんは
藤岡和賀夫*1さんのプロデュースした
富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」とJRの「Discover Japan」を挙げています。
「イエイエ」TVCMは1967年の放送、「モーレツからビューティフルへ」も「ディスカバー・ジャパン」もその三年後の1970年に始まったキャンペーンです。
余り多くの例が取り上げられていないのは、確固とした訴求すべきイメージもなく、只々「雰囲気」を音楽や映像で作ったTVCMが多かったからでしょう。玉石混交、しかも主に石。☺️
玉は少なく石の多いような状態でも、こうしたTVCM作りは続きます。
なぜか? その辺のことを向井さんは以下のように言及して、バッサリと切り捨てています。
なぜか。理由はばかばかしいばかり単純であって、派手で「ハッピー」なイメージをばら撒くだけで容易に商品が売れたからである。なまじ商品にこだわるよりも、はなやいだ生活を描き、ゆたかな明日をうたい、屈託なく笑う若者たちを大写しにし、外人スターを颯爽と登場させるほうが、商品の需要を伸ばすのにずっと効果的だったからである。フィーリングたっぷり、夢いっぱい、ひたすら美しい「鑑賞用」CMであることが、同時に最も強力な「売る」CMとして機能したからである。
藤岡さんの稿(其の43−45)で触れましたが、まさに日本はこの時代に高度成長期の真っ只中にありました。つまり、世の中は年々増えていく収入に支えられた消費意欲に満ち満ちた人々で溢れていたんです。TVCMや新聞雑誌で新商品を世に知らしめれば、それだけでも売れていった時代です。
梶 祐輔さん
*2(其の46−51)に言わせると、それが日本の広告を迷走させた原因となるんですけど。
一方で、こうしたフィーリングCMへのアンチテーゼのようなU.S.P.
*3訴求のTVCMも出てきました。
前稿で取り上げましたが、セメダインのTVCMを其の代表例として向井さんは取り上げています。セメダインで接合した2枚のブルドーザーに繋がれた鉄板を剥がそうと、ブルドーザーが逆抜きに動いていき、板は剥がれずついに鎖が断ち切れる・・・というCM。接着力の証明ですね。
この系譜にあるTVCMとして、
自動車保険のTVCMが代表例としてあげられています。
三月と四月の両月、花曇りの空を引き裂くようにしてひとつの大胆なアピールが発せられ、ひとびとの耳目をそばだたせた。損害保険協会が行った自動車保険のキャンペーンである。
男がひとりいる。頭を低く垂れ、肩を深く落とし、背だけを見せている。自動車事故の加害者である。その背を鞭打つ厳しい言葉。「それでもあなたは人間なの?」これは印刷広告のヘッドラインだが、TVCMもこれに劣らず激しくて、「彼は世間に顔向けができません。」「今日ハンドルを握るあなたの明日の後ろ姿かもしれません」と重々しい声が語りかける。(月刊アドバタイジング・1975年6月号)
実はこの文章を書いたのは向井 敏さんです。
「見事な恐怖訴求手法のTVCMだが、そんなことより注目すべき点は、明確な主張をしていることであり、何故この商品が貴方に必要なのかが鮮明である」と、本質に迫るU.S.P.アプローチとして刮目する広告である、と語りこの
日本損害保険協会の「後ろ姿」篇TVCMを絶賛しています。
1975年放映当時、私はまだ免許を取得していませんでしたが、このCMはよく覚えています。免許をとって車を運転するが少し怖くなった記憶があります。
実は向井さんが触れていない重要な、締めのキャッチコピーがこのTVCMにはあります。
それは「せめてもの償いが保険です」
自賠責保険・
自動車保険
という最後のテロップです。
この一行が欧米流
マーケティングで言うところの「PROMISE」です。要は、この商品・サービスを購入すると、どういうメリットが約束されるのか、ということです。U.S.P.訴求では、このPROMISEが一番大事なんですね。要は何の得があるの? 消費者の知りたいのはそこですから。
「起こした事故はなかったことにはならない。もう遅いんです。」と追い込みまくって、せめてもの償い・・・とくる。これ実に説得力があります。
自動車保険の必要性を一言で表していますよね。
優れたU.S.P.アプローチCMは実は優れた
ブランディングになっていて、優れたイメージCMも
ブランディングになっているというのが私の持論です。
向井さんが対照的に見ていたイメージCM(フィーリングCM)とU.S.P. アプローチのCMは、優れたものはどちらも
ブランディングしていると思うんです。
ブランディングというのは、「その商品・サービスを諸有した時に感じるであろう満足感」の昇華したものです。
先出の
自動車保険であれば、「交通事故を起こしてしまったが、
自動車保険に入っているので、被害者へせめてもの償いができる」自分のありたき姿を想うということです。これってちゃんと
ブランディングができていると思います。
イメージCMと向井さんが位置付けた
富士ゼロックスの企業広告「モーレツからビューティフル」。自由な若い世代のアイコン的存在であった
加藤和彦がロンドン・ファッションに身を包み、”Beautiful”とメッセージの書かれた紙を手にし、銀座通りをゆっくりと歩く。そして「モーレツからビューティフル」のテロップが画面に現れる。
ただそれだけのCMでしたが、明らかにそれまでになかった雰囲気を醸し出していました。これを見て、世をあげての高度成長モーレツ人間ではない、「新世代」である自分のありたき姿を人々は想ったはずだと思うのです。
実際このTVCMの放映された翌年採用には
富士ゼロックスへの就職希望者は激増しました。その意味でも、このCMは単なるイメージCMではなくて、
ブランディングCMだったと確信します。
つまり、優れた広告とは、それがU.S.P.アプローチであろうがイメージ訴求のものであろうが、すぐれた
ブランディングとなっているということではないか、と。