本稿でとりあげてきた向井 敏氏の著書「紋章だけの王国」が書かれたのは1977年のこと、この6年後には増補版が出て、民間放送が開始された1953年を起点とした広告の30年史と謳っています。
1976年時点で、向井さんは民放開局以来二十数年の広告の来し方を、広告素材を3つの特性で仕分けし、3つの時代に区分けしました。
曰く
① コマーシャル・ソング (1955年〜62年)
② キー・ワード (1963年〜65年)
③ フィーリング(1967年以降)
これに大きな流れにはなることがなかったと氏が指摘している「U.S.P.アプローチ*1」を加えると4つのカテゴリーとなります。
しかし、膨大な本数となるTVCMを4つのカテゴリーに整理し落とし込むのは、流石に無理があります。
何せCMは年間に180万本も放映されているのです。
Video Reasearch の統計によると、関東地区民放5局のCM総出稿量は2018年に27,099 (千)秒、全てを15秒スポットと仮定すると*2 180万6,600本のCMが放映されたことになります。1日あたり4,949本。
30年史というならば、かなり乱暴ですが隔年2018年並みの出稿本数があったと仮定するならば、30年間で5,419万8千本。1CM素材が五百回の放映だっったとして108,396本、30年間に10万本を超える新素材が流れた計算になります。
この10万本を何らかの傾向性質に仕分けすることは、盤根錯節*3、難中の難に思えます。
「紋章だけの王国」では、向井氏はあえてこのCMの流れを傾向別に整理整頓することに試みているわけですが、流石にこれは辛かったようです。整理不整頓であったのはやむを得ません。それは無理なことです。
会社が製品サービスのTVCMを制作するのは「一件一葉」で、その都度その都度、様々な思考工夫の挙句に一本のCMが産み出されるわけです。
繰り返し使える共通のテンプレートがあるわけではありません。
そう言う意味では、CMは再生産性が極めて低い非効率な「製品」と言えます。
ですが・・・CMを送り出す側(企業+広告制作者)と受け取る側(潜在購入者)の二者視点でのみ捉えるなら、広告は二種類しかないと思います。
潜在購入者の関心・好感・共感を得るに効果的だったCMとそうでないもの。この2種類のみ。
コマーシャルソングを基軸にしようが、キーワード(キャッチフレーズ)、フィーリングを基軸にしようが、出来上がったCMが潜在購入者の3K(関心、好感、共感)を得ることができず、記憶に残ることがなければ、そのCMは効果なく散っていったというだけのことです。単なる失敗作です。
その視点で捉えると、植木等の「なんであるアイデアル」のキャッチフレーズで短期間で急成長した洋傘メーカーのアイデアル、フィーリングCM とカテゴライズされたレナウンのニット素材服のCM「イエイエ」、富士ゼロックスの企業CM「モーレツからビューティフルへ」、全ては効果的だった勝ち組CMと捉えれば良いのだと思います。
逆にここで記すことは不可能なほど多いであろう、効果的でなかったCM失敗作の瓦礫の山。
失敗の理由は、コマーシャルソング、キャッチフレーズ、イメージ、何を基軸にしたかによるのではなく、広告対象の商品サービスを十分に腑分けして潜在購入者が惹きつけられるような仕掛けをつくる、これができなかったことに尽きるのだと確信します。
そうした事情もあり、当事者ではない観察者によるCM評は一件一葉で散文的なものになるのが必定だと思います。
私が「見巧者」と見立てている向井 敏、岡田 茂、天野 祐吉、三氏の広告に関する著作はいずれも優れたなエッセイです。
マーケティング的な視点というより、表現を純粋に見ていくもの。それでいいのだと思います。メッセージの受信者=潜在購買者はマーケティング視点なんて関係のないことなのですから。
「紋章だけの王国」の最後にはテレビCM年表(1953年〜1982年)という資料が付されています。
これは1年1ページで、上段には簡潔にその年の代表的なCMを氏の提唱した「CMソング」「ヘッドライン」ごとに記し、併せてその年のテレビ受信契約数と広告費、下段には話題となったテレビ番組と社会事象、風俗流行をまとめたものです。
この30ページは見応えがありますし、昔の写真アルバムを久しぶりに見つけ出し、時の経つのを忘れて見入ってしまう感じと同じです。やめられない、とまらない*4。
氏にはこの「紋章だけの王国」に続き1982年に上梓された「虹をつくる男たち コマーシャルの30年」というエッセイがあります。
民放開局以来の多くのCMの来し方をCMの持つ特性からカテゴライズすることを試みた「紋章だけの王国」に比べて、異なる媒体に発表してきたCM評をランダムに再掲したエッセイ集は、肩の力を抜いて読める秀作です。
いずれこの「虹をつくる男たち」のご紹介もするつもりです。
さて、七回に渡って綴ってきた広告の見巧者、向井 敏 氏 篇は、本稿をもって終章といたします。