必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の65 広告の見巧者

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  見巧者(みごうしゃ)という言葉があります。

  歌舞伎、能などの古典劇や芝居などの決まりごとや背景に精通しているひとを指します。

  多くのだしものを観て、知識を身につけていると、より深く芝居、劇を楽しめるという暗黙の了解が前提。

  誰もが等く、知識量の差があろうがなかろうが楽しめる種類のものだと、この表現は使わないですよね。

  例えば、なんでしょう、吉本新喜劇なんかには使わないでしょうね。「吉本新喜劇の見巧者」・・・これはピンとこない。柄本明ベンガル東京乾電池・・・これも違うな。久本雅美柴田理恵WAHAHA本舗・・・もっと違う!

  さて、話は広告についてです。結論から言いますと、私は広告には「見巧者」がいると思うんです。

  演劇にはざっくり言って側面が二つあると思うんですね。

  一つは演者の面。もう一つは観る側、観客の面。そして多くの劇を見続けてきた「見巧者」の観客が存在する。

  広告も、発信する側、つまり広告主と、観る側、視聴者=消費者の二つの面じゃないか!と言いたくなりますよね。
  
  そうなんですけど、視聴者=消費者は広告を商品・サービスのプロモーションをしているもの、つまり自分が広告商品を買いたいか、買いたくないか、関心がないか、でしか見ていないんですね。

  「この広告はうまいところを突いているよな、うん、すぐ買いたくなるよね、こんな風に表現されると・・・うまいなぁ、誰がプランナーなんだろ?」なんて観る側=消費者は決して思わないんです。当たり前ですよね。思うのは、買いたいか、買いたくないか、関心がないか・・・しかないんです、くどいようですけど。☺️

  発信する側、広告主ですね、彼らは広告の内容がどうであれ、知名度が上がり、売り上げが上がれば、もうそれが全てなんです。これも当たり前です。広告費を投下するのは、商品・サービスの売り上げを伸ばすことが唯一無二の目的なんですから。

  広告会社が広告制作にあたって、凝りすぎたり、制作費の掛かりすぎる予算度外視の計画を立てたりすると、広告主が決まって言うセリフがあります。「広告はアートじゃない!」。御意。当然です。

  そして広告主と同じ発信サイドではあるんですが、広告代理店や制作会社。彼らは広告が世に出たときには、これは終わったこととして、もう次の用件に取り掛かっていて、心はここにありません。

  もちろん、売り上げの推移は気にしていますよ。売り上げが予定通りに伸長していなければ、媒体出稿計画*1の見直し、変更、必要ならば広告の内容の手直しをする必要があります。

  でも、心は次のこと、次回キャンペーンへ移ってしまってるんです。現場にいた私が言っているんだから確かです。😀

  この広告主、広告代理店・制作会社、そして消費者の三大勢力*2😀以外に、少し距離が空きますが、広告を分析研究する学者と広告の批評家がいます。

  学者筋は実践家ではなく、むしろ批評家の方が実戦現場に近いというのが正直な私の見方なんです。

  さて本稿からシリーズで、この広告の批評家の偉人たち、私の考える「広告の見巧者」の貴重な意見をご紹介していきたいと思います。

  その見巧者たちとは、向井 敏*3、岡田芳郎*4天野祐吉*5の3名の方です。

  奇しくもご三方の生年は近いんですね。故向井氏は1930年、昭和5年で、故天野氏は1933年、昭和8年。三人のうち唯一ご存命の岡田氏は天野氏より一年後、1934年の昭和9年生まれです。

  日本でTVコマーシャルを収入源とする民間放送は1953年の日本テレビの開局から開始されました。

  三氏の共通点は、20代から30代の広告に関わる若きビジネスマンとして、当時「ニューメディア」だったテレビに放映されるTVコマーシャルという宣伝広告媒体の、誕生から隆盛を同時進行的に見聞き、体験しているということなんです。

  従って三氏の書かれた評論本には、初期の頃のTVCMのあれやこれやがリアルに描写されていて、貴重なものとなっています。当時を知る人は少なくなってきているのですから。

  ちなみにTV放送開始の時から女優として活躍されてきた黒柳徹子さん、女史の生まれは1933年です。故天野祐吉さんと同い年で、まさにテレビの隆盛とかぶって人生を歩まれてきたわけですね。

  さて、向井 敏さんから、ご紹介していきたいと思います。

  氏の名著「紋章だけの王国」は、繰り返し読みました。

  梶 祐輔さんは、日本の広告の迷走を嘆き、怒りの提言を行い続けた、炎の「批判者」でしたが、向井さんは広告を距離をとって注視した文字通り「批評家」でした。

  詳しくは次稿から。

*1:どのメディアにいつ、どれくらい広告をするのかを詳細に定めた予定表ですね

*2:広告効果測定会社や調査会社も数多存在しますが、関連業界として広告代理店側に含めます。

*3:1930〜2002。エッセイスト。1960〜1982 電通に在籍。クリエイティブでTVCM制作をおこなった。

*4:1934年〜   1956〜1998、電通に在籍。コーポレート・アイデンティティ室長などを務めた。

*5:1933〜2013。コラムニスト。博報堂に勤務後、雑誌「広告批評」を創刊。朝日新聞に名物コラムとなった「CM天気図」を寄稿し、多くのTV番組に出演し広告批評家という存在を世に知らしめた。