必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の18 富士山は最長の歴史のある日本最大ブランドである

今日は少しmindfulな気持ちになりたくて、

日本人がこれを見ると安寧な心持ちになる富士山の話をしたいと思います。

これほど広く国民に愛されているものが他にあるでしょうか?

全ての人が好感するのだと思います。

何も感じないよ、って人は稀にいるかも知れませんが、

「俺は富士山だけは、根っから嫌いなんだ。」って人、周りにいます?😁

 

富士山はいつ出来たかご存知ですか? 

知らない? 私も知りません。😁

物心ついた頃から富士山はありました。当たり前か。

ちょっと調べてみようと思い、静岡県のホームページを覗いてみました。

 

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現在の富士山の原形になるのは「新富士」火山と言われてい、これは約1万年前に火山活動が始まったそうです。この頃から最後の噴火である江戸時代宝永の噴火まで1万年の間に100回を超す噴火を繰り返したという史実。百年に一回は噴火してたんですね。

 

江戸中期の宝永大噴火は1707年ですから、もう300年ちょい経ってます。富士山は休火山でありますから、いつ噴火してもおかしくないのかも知れません。

 

1万年前というのは旧石器時代の後期にあたるらしく、富士山がどかーんと噴火してるときに旧石器時代の人間が麓では右往左往してたんでしょう。旧石器時代に日本に洞窟壁画があったかどうかは知りませんが、富士山の噴火に旧石器時代ピーポーは恐れおののき、富士山を畏敬の対象として見て、子孫に「やべーからな!」と口伝していたんじゃないでしょうか。

 

時代は下って縄文時代には、縄文ピーポーがのちに貝塚となる場所で貝を食べては富士山を仰ぎ見ていたのかと思うと、なんか「同じ

富士山を時代を隔てて眺める我ら」的な共感を感じます。大袈裟ですかね。☺️

 

富士山が古来より人々の信仰の対象になったのは納得できます。

ブランド信仰という言葉があるように、偉大なブランドになるとこれはもう疑いを挟む余地のない「信仰」になりますもんね。

 

自然信仰は世界中にあるといいますが、太陽、月、天、動物、などの中の山、つまり山岳信仰はアジアに多く見られるそうです。

富士信仰の神社である浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)は静岡県富士宮市にある本宮浅間大社総本宮として関東に多くあることを見ても分かるようにもう立派に信仰です。

 

関東には多くの「富士見」と名の付く地名や坂があります。富士見台、富士見坂。高層ビルが視界を遮ることがなかった昔はどこからでも富士を仰ぎ見ることができたんですね。

 

坂めぐり愛好家のつくる「坂の会」*1によると都内に富士見坂と付く地名は16箇所、別名富士見坂を

入れると24箇所あるそうです。

 

富士山は実に標高3,776.12メートル(剣ヶ峰の最高地点の標高だそうです)。

皆の知る日本で一番高い山。マーケティング・セオリーでは、よく''マーケット・リーダーである意味は大きい、2番手、3番手がどこかは

誰も確かには知らないから"と言われます。確かに。

 

ちなみに日本で二番目に高い山って何処か知ってます? 私はもちろん知りません。(きっぱり😁)

正解は山梨県南アルプス北岳。標高3,193メートル。

ちなみに3番目は長野と岐阜の県境北アルプス奥穂高岳と、2番目の北岳と並んで聳える間ノ岳(あいだのたけ)が3,190メートルで

同着だそうです。富士山との標高差は大きいですが、2番目と3番目はたったの3メートルですけど。惜しいですね。☺️

 

ともあれ、東京都の24箇所の富士見坂や富士見台から、昔から人々は畏敬の念を持って富士山を仰ぎ見ていたのでしょう。

 

タイトルに富士山はブランドである、と書きました。

ブランドは人が脳内につくりあげる情緒的なイメージ価値です。

情緒的価値、つまりEmotional Benefit。富士山のそれってなんでしょうか? 考えてみました。

 

以前書きましたが、ハーレーダビッドソンのブランド価値はひとことで言えば私は「変身」だと思います。では富士山のブランド価値は何か? Jumping to conclusion 、それって「浄化」じゃないでしょうか。

 

皆んな日常生活では大なり小なり、嘘をついたり、誤魔化しを言ったり、自分勝手なことをしたり...大袈裟に言えばそれなりに悪行を積み重ねているわけです。皆さんはどうですか? 

私は着実に積み重ねています。☺️

 

そんな自分でも、年に一回程度富士を仰ぎ見ると、清らかな気持ちになります。脚が悪く富士登山はできないので、河口湖のほとりの温泉の部屋風呂に朝から浸かりながら、富士山を見ていると身も心も浄化する感じがします。

 

伊勢参り、これも富士山信仰とブランド価値は同じ「浄化」なんではないかな、と思うんです。江戸時代、徳川幕府は人の往来を制限するために五街道に関所をつくったけど、お伊勢参りの通行手形、現代のビザ😁、を発行して貰えば人々は比較的自由に移動できた由。移動すると言っても江戸からは片道15日はかかった

そうで、往復ひと月、この旅費は庶民には捻出が難しかったので、皆がお金を出し合いくじ引きで代表してお参りする者を選んでいたそうですね。これが「お伊勢講」です。

 

参拝講というのは他にもあって、金比羅さまに詣でる金毘羅講、そしてもちろん富士講もあったそうです。富士講はお伊勢講より江戸からは参拝先が近いわけで、その分山頂に鎮座する富士山本宮浅間大社奥宮まで奮闘努力で登山してお参りし、ご来光も拝み、身の浄化をしたんでしょう。

 

ちなみに、富士山8号目より上はこの富士山本宮浅間大社奥宮の境内になるんですって!クイズに出るかも。メモメモ。😁

 

最後に私の思う、とんでも仮説を発表🤣して締めたく思います。

私は下町の生まれで、かなり大きくなるまで銭湯に通っていました。当時は下町は自宅に風呂のない家が当たり前で多くの銭湯、つまりお風呂屋さんがありました。

 

同級生たちと毎晩銭湯で会っては、担任教師の論評会や女子の誰が可愛いだ、胸が大きいだ、今考えると下らん話、当時は最重要な話をしていたもんです。

 

さて、そんな銭湯の湯船の前の壁にはペンキ画が描かれていました。

記憶する限り、下町周辺の昔の銭湯のペンキ画は殆どが富士山の絵だったんです。今はどうなってるんだろう?

 

本稿を書いていてピンときました。日々人々が銭湯で働いた汗を洗い流すときに、湯船に浸かりペンキ絵の富士山を眺めながら、無意識に自らを浄化するというemotional benefitがあったんではないでしょうか?

 

まぁ、ただ単に富士山はバランス良く絵師が描きやすかっただけかも知れませんが、庶民の浄化を担っていたんだと考えた方が夢があります。😀 ブランドは人の創造する夢ですから。

 

次回は富士山と並んで、私が世界的ブランドと認定😁するゴジラのブランド論を書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:そんな会があるんですね😀