必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の44 ブランドを語った偉人たち〜藤岡和賀夫 ②〜

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左:大阪万博太陽の塔 右:富士ゼロックス TVCM

 

 

前稿に続き稀代のプロデューサー故 藤岡和賀夫氏について書き進めたいと思います。氏の仕事で私の記憶に強く残っているのは何と言ってもJR(当時国鉄)のDiscover Japanキャンペーンと富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」の二つの広告シリーズです。


これらは1970年、今から半世紀も前になる時代の広告なんですね。1970年というのはどんな時代だったか。今年企業に新卒入社した人たちのお父さん、お母さんが生まれた頃じゃないでしょうか。


彼らから見れば、どんだけ前なんだって思うでしょう。どんだけ〜!☺️世はまだバブル経済のはるか前、教科書に書いてある「高度成長時代」のど真ん中ですね。


バブルに向けての一本道。大阪万博が開催されたのが1970年です。高度成長下にある国って、オリンピック、次に万国博覧会をやるんですね。悲願でしょう。


中国がそうでした。北京オリンピックが2008年。世界に向けて高らかに中華人民共和国ここにありと世界に発信した訳です。そしてわずか2年後、2010年の上海万博。大国中国の真骨頂ご覧あれって感じです。

 

韓国も1988年にソウルオリンピックを開催。1987年に軍事政権から民主化したことを、盧武鉉大統領が世界にアピールしました。


話を戻します。1970年というのは日本がまさにものづくり&輸出で世界を席巻している鼻息の荒い、興奮状態☺️の真っ最中です。


利休の至ったワビサビとは真逆、むしろ豊臣秀吉の金の茶室イェ〜イの世界。そんなときに「これちょっとおかしくね?」と疑義をとなえたキャンペーンを仕掛けたのが藤岡和賀夫さんなんです。


この時代に正反対のことを言う人はまずいなかったでしょう。経済界から見たら変人にしか見えなかったかもしれません。


1989年、ほぼバブル経済が破綻する直前には、時任三郎が出演するスタミナドリンクのキャンペーンで「24時間戦えますか?」と高らかに吠えたCMが話題になりました。


まぁこのCMはどちらかと言うと自虐的諧謔CMだったと思いますが、これが終焉間近として、大阪万博のあった1970年から更に20年間の長きに渡って日本は経済最優先を旗頭に猪突猛進したわけです。


その興奮の坩堝の中、「ちょっと変じゃね?」と感じた自身の気持ちを氏は著書「現代軍師学心得」に書いています。以下要約です。

 

高度成長路線下、皆が我が世の春を謳歌していて、大阪万博はその繁栄の象徴だった。

一方でそれまでは広告主が技術の優劣を競い合っていた広告は、商品が皆高性能、高品質になったために、差別化ができなくなった。

仕方なく広告は表現自体の差別化に向かうことになる。これがクリエイティブ志向であり、「物ばなれ広告」の背景である。

物ばなれ広告は商品自体についてではなく、表現自体への人々の好感、共感を促した。当時私がとなえた「脱広告」、De-advertisingの考え方の原点である。

 

広告のあり方について、このような自問を続けていた藤岡さんは、当時担当していた富士ゼロックスの小林宣伝部長*1にかねてより温めていた考えを提言します。


それが「モーレツからビューティフル」というキャンペーン・コンセプトの提案でした。その提案の経緯を氏は同じ著書でこのように書いています。要約します。


ある日、その頃私が担当していた富士ゼロックスの宣伝部長の小林さんに、折に触れて話をしていた「モーレツからビューティフル」という考えを富士ゼロックスが提言しては?と提案した。当時はモーレツ・ブームの最中。でもこれは違う、モーレツだけが人の生き方なんておかしい。その犠牲になっている人間らしい生き方があるはずだ。それでモーレツの対極にある考えの言葉探しをした。

ビューティフルというのは、美醜ではなく、モーレツへのアンチテーゼとして、氏が巡り合っコンセプト・ワードだったんですね。


ビューティフルが内包する、より深く人間的な意味をすくいとったわけです。凄いひとです、藤岡さん。富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」TVCM、今でも記憶が鮮明です。加藤和彦さんが独特のファッションに身を包み、「Beafutiful」と書かれた紙を抱えて銀座通りを歩いている。。。ただそれだけ。エンドカットに「モーレツからビューティフルへ。ゼロックスからの提案。」


びっくりしました。商品名連呼のCMの洪水の中で、何も商品について語らないCMは「何じゃこれは?」と当時コピーに無縁だった中学生の私を驚かせたんです。サディスティック・ミカ・バンドを結成する一年前。加藤和彦さん格好よかった。
  
とにかく格好良くて、ゼロックスって凄く新しい考え方をする革新的な会社なんだろうなぁ、という印象でした。


特に若い世代(当時私も若かったんです)に強い印象を与えました。


この翌年、富士ゼロックスは大学生の希望就職先ベストテンに入る人気企業になった由。さもありなん。


富士ゼロックスに提案した氏が脱広告、De-advertisingと呼んだ、商品のfunctional benefitに触れない、情緒的な訴求に終始するアプローチ、これってまさにブランディングの一里塚なんです。

ブランディングって、USP*2広告の先にある、USPと同一ベクトル線上にある情緒的価値に昇華したコンセプトです。De-advertisingではなくて、Beyond-advertisingと言ったほうが誤解を招かないと思うんです。

  


脱広告、De-advertisingと言ったために、経済人・企業人からは相当な反発があったと思います。広告はアートじゃない、商品を売るためにやるのであって、コピーライターの自己満足のためにやるんじゃない!という意見は何百回も聞きました。

  


これは氏のいう「クリエイティブ志向」に代表される位置づけが、意図せず生んでしまう誤解だと思います。

  


モノ・サービスが売れ続ける、sustainable growthを担保するためにこそ、Beyond-advertisingが必要なんです。「広告のその先へ」ということですよね。いわば広告の最終形態、超USP広告なんです。

  

藤岡氏はその類稀なる時代の流れや人間性への嗅覚の鋭さで、無自覚的に超USPの多くのRe-brandingを仕掛けた偉人だと、私は確信します。この話、次稿に続けます。

*1:小林陽太郎。1933-2015。日本の実業家。富士ゼロックス元取締役会長、経済同友会元代表幹事

*2:マーケティング用語。Unique Selling Propositionの略。商品のもつ独自の差別化された強みを提示訴求すること。

其の43 ブランドを語った偉人たち in Japan 〜藤岡 和賀夫〜

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富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」TVCM(1970)

  ブランドを無形の資産*1として学者やマーケティング専門家が語り、研究し始めたのは1980年代の米国でした。

  著名な学者にはかのマーケティング学の泰斗ディビッド・アーカー教授がいます。

  とかくイメージ論でしか語れていなかったブランドを資産価値のあるものとして、科学的に分析測定をすることを提案したのです。

  このあたりの経緯は日本マーケティング学会前会長で中央大学ビジネススクー 田中 洋 教授の大著ブランド戦略論*2に詳しいので、割愛します。是非教授の力作を読んでください。これ一冊読めばそこそこのブランディング通になれます。ほんとに。


  さて、これらのブランディング論を知っていなくても、実はその本質を別な言い方、思想で語っていた日本の広告人がいたことを何回かにわたってご紹介したいと思います。

  本稿では故 藤岡 和賀夫氏についてお話しします。

  ふじおか わかお、と読みます。

  1970年代にJR*3のDiscover Japanキャンペーンや、いい日旅立ち、そして富士ゼロックスのモーレツからビューティフルへを仕掛けた知る人ぞ知る電通の名プロデューサーです。

  氏が書いた「現代軍師学(プロデューサー)心得」という本があります。1982年初版です。

  まだブランディングという言葉が一般的でなかった時代の著作なので、当然「ブランド」という言葉は使われていませんが、実はその要点をついた発想をいくつも氏は本中に著しています。氏は多くの著書を上梓しましたが、本書は最近になってとても気になった本の一冊なんです。


  本稿はその慧眼を紹介したいと思います。

  この本「現代軍師学心得」第5章クリエイティブ・パワーで、氏はカンヌ国際広告賞で金賞をとったサントリーのTV CM「雨と子犬」の話を書いています。

  今から30年ほど前のCMです。今でもこの映像を見ると、当時のある感情が心に浮かんできます。


youtu.be

minuta06 チャンネルより


  夕刻につかれる鐘の音と共に寺を出てくる子犬。
雨の中、街中に迷い出た子犬は人の足の間をチョコチョコと避けたり、公園の木陰で雨宿りをしたり、そして川沿いを懸命に歩いて行きます。
エンドカットでやっと広告商品が出てきます。

  コピーが”トリスの味は人間味”。
ナレーションが被ります。
「いろんな命が生きているんだなぁ。元気で。とりあえず元気で。みんな元気で。」

  CM本編では、このサントリーのウィスキー「トリス」については一言も触れていません。美味いの一言もない。何も言っていない。

  このCMについての氏の言及を抄録します。

私がこのCMで際立っていると感じるのは、商品からの発想が全くないということなんです。商品との脈絡が全くない。

カンヌでも最後までそこが問題になり金賞授与に反対する審査員も多かったそうです。

ただ子犬が雨にそぼ濡れて走りまわっているだけです。でも可愛いというか、可哀想というか、それこそ筆舌に尽くしがたい詩情が満ち溢れています。

商品からの発想がない、商品との脈絡が何ひとつない。作品としては金賞だがCMとしては落第、そう考える人がいて当然です。

現にカンヌも審査員の多くがそうだった。アメリカならもっとシビアで、CMとして認めないだろう。

  CMとして疑問を持たれるのは当然だとしながら、
氏はこのCMが詩情を感じさせることのクリエイティブ・ワークをアートを評価します。そのアートが私たちに何かを訴え、何かを伝えてくると。

  アンダーラインの部分、実は本質を伝えてくれています。商品特性とかメリットとか、そういうことは全く語っていないのに、見るものに何かを伝えてくるもの、これを氏は「アート」と言ってみたり、「文化」と言ってみたりしています。

  氏の指摘した「人の心に訴えてくる(商品と関係ない)エモーション」・・・これがブランドなんです。と今なら言えます。☺️

  ブランドを「文化」とか「アート」とかで表現すると、広告宣伝は商品の特徴を言ってナンボ、アーチスト気取りのコピーライターやアートディレクターは無用!という実務派の企業側からとっちめられます。当時も今も。

  私は欧米系のクライアントと長く付き合ってきたので、商品サービスのU.S.P.を主軸にコミュニケーション全般を作ること、つまり商品発想のやり方も理解していますし、一方でそれだけに拘泥しないブランディングの創生も手がけてきました。

  簡単にいうと、U.S.P.アプローチの延長戦上に、ある昇華したEmotional Value、Emotional Benefitを発見創作したものがブランドです。

  だから、商品と無縁じゃないかという指摘は違うんです。延長線上にあり、商品やサービスの特徴は断捨離されているだけ。本質だけが残っている。至高です。

  氏が高く評価したサントリー・トリスの「雨と子犬」の場合、昇華価値は「普通に生きてるだけど、頑張ってる自分にお疲れ様の一杯を。」つまり元気で普通が一番、ということだったのではと私は考えます。

  少なくとも私はそれでグッときたんです。

  このCMが放送された1981年当時、私は藤岡さんの勤める電通に入社したばかりの新入社員でした。

  「鬼十則」という社員心得が社員手帳に載っているくらいのダイハード☺️な会社で毎日を過ごしていくには、足がつるほどに背伸びをし、知ったかぶりをし、自分を3割から5割増で誇大しなければならなかったのです。

  そう信じ込んでいました。周りはモーレツに頭のいいやつ、モーレツに体力のあるやつ、モーレツな金持ちの子女、モーレツなイケメン・美女・・・家に帰ってくるとぐったりげんなりです。

  この受賞CMは60秒です。広告賞を意識してCMをつくることはよくあります。60秒枠というのはテレビCM枠としては取りにくいし、まず放送しないので、私がこのCMを観たのは放送ではなくて、カンヌ受賞CMとしての勉強会のときだったかもしれません。

  グッと来たのはよく覚えてます。

  ホントは普通の人間の自分が鎧を脱いで、ほっと、一息つく。そんな時はサントリーのあれがいいなぁ、と思ったのかもしれません。

  入社して以来、格好をつけて I.W.Harperばかり飲んでいた自分でしたが、サントリーのウィスキーを家に置くようになったんです。気張らないでほっとするから。☺️

  でもそれ、トリスじゃなくて、ホワイトでした。サントリーのあれがいいよな、でしたから。

  ホワイトになったのはサミーディビスJRのCMの影響だと思います。これも気取らない、気張らないフツーの感じ。アメリカ人だから鼻歌混じり。😁

  まぁいいじゃないですか。サントリーなんだから。これがブランディングです。


  私にとってサントリーのウィスキーは気取らない、気張らない、という等身大ウィスキーなんです。そう脳内ブランドが出来上がっている。


  ちょっと話が藤岡さんからそれちゃいましたね。次回はまた氏の話に戻します。

*1:brand equity

*2:有斐閣 2017

*3:当時は国鉄

其の42 Lexusというブランド

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INTERSECT BY LEXUSLexus 公式ページ)

前稿のプリウスに続いて、本稿ではレクサスについて書きます。
  

  
  皆さんにとって、レクサスってどんなブランドですか?

    
  
  私にとっては、これ結構特別なブランドなんです。いまだに買ったことはないんですけど。

    
  
  高級車*1と言えば、西独のメルセデス・ベンツBMWAudiの三ブランドが定番ですよね。

  
  
  御三家それぞれが確固たるブランド・イメージを持っている。
メルセデス・ベンツの「成功者の車」、BMWの「Fun to Drive」、Audiの「先をいく」。

  

  自分は昭和世代なので、どうしてもAudiは裕福な家の女子大生が乗り回す赤いAudiを連想してしまうので、いくら「先進性」のtechnology-drivenな車と言われても先入観を払拭できません。😁

  
 これって実は大事なところです。試験に出ます。☺️

  
  ブランドって一度脳内に棲みつくと、簡単には変わらないんですね。とても効率が良いとも言えるし、ネガティブに考えると大変厄介です。悪いイメージが根付くと、いくら良いことをその後言っても脳は聞いてくれないんです。

 
  話を戻します。その御三家のブランド・イメージとレクサスの私のイメージは明らかに違います。

  
  私の脳内に棲みついたレクサスのそれは「You deserve」、貴方にふさわしい、なんです。主は「貴方」、つまり私にあります。

  
  私の考えでは御三家は、いわば主は車にあるような気がします。

  
  レクサスの「You deserve」、これはなかなか受けの広いプロポジションと言えます。

  
  顧客は年収が2、3千万の優秀なビジネスマン、はたまたファッション・デザイナー、建築家、弁護士、医者・・・whoever, 何かを成し遂げた人。

  
  そんな「ひとかどの人物」である貴方(あなたが主です)にふさわしい車、それがレクサスです、というプロポジションを取っているんだと思います。

  
  メルセデス・ベンツBMWも主は車にあるように思えてなりません。メルセデスに乗るにふさわしい貴方なんですか?と・・・上から目線。😁

  
  私はレクサスと聞くとまずこの逸話を思い出します。

北米で成功を収めたトヨタ初の高級車ブランド、レクサスを逆輸入的に日本に導入する際、トヨタは販売店の店員におもてなしの心を叩き込むために、独自のクレド*2を持つ高級ホテルの「リッツ・カールトン」で研修をしてもらった。

  
  それまでも、ディラーでのサービスはA社がいい、B社はダメだ、と巷語られることはありましたが、「おもてなし」のレベルでレクサスが取り組んでいるというのはとても印象的で、記憶に焼きつきました。

  
  他にも、販売店での接客のために店員は小笠原流礼法の研修をした・・等の全ての逸話が比類なきレベルの「おもてなし」に集約していきます。

  
  ブランディングの要点はConsistencyとContinuityと言われますが、まさにレクサスは2005年の日本市場ローンチ時にConsistencyを顧客全包囲で展開していました。

 16年経った今でも同様のハイクォリティの顧客への「おもてなし」は継続中ですから、Continuityも担保されているわけです。


  レクサスは大衆車のトヨタ・ブランドから離れてメルセデス・ベンツBMWのような高級車に匹敵する品質と安全性を追求し、尚且つ日本車ならではのきめ細かい仕上げと経済性を両立したブランドであり、これがアメリカで受け入れられ成功したことはよく知られています。

  
  でもレクサスはマシーンとしての車の性能がどうだとか、内装のクオリティレベルがどうだとか、経済合理性がどうだとか、そうしたピースバイピースの話ではなくて、全体としてこのブランドが放つオーラがあったのだと確信します。

  
  ブランド・オーラというのは、マシーンとしての完成度の高さも含めて全てが「You deserve it、貴方にふさわしいこの一台」という閃光を顧客に放ってくるということです。


  今はメルセデスに乗っているんですが、本音の本音は、できるなら一台目をメルセデスに替えてこのオーラを放つレクサスに、セカンドカーとしてプリウスを持ちたいです。。。チェックの厳しい妻が許してくれませんが。😭


  メルセデス・ベンツの直系代理店のシュテルンはVクラスに乗っていた時に通いましたし、今のBクラスを買ったヤナセには折に触れて顔を出しています。

  
  ところが、近所にあるレクサスの販売店は、シュテルン、ヤナセのはるか上を行くオーラを放っているんです。一流ホテルや高級フレンチレストランのエントランスのような。

  気になります。すごく気になる。


  「ひとかどの人物」認定を自分に与えられるようになったら、ここへいきたいと思います。😁
 まだ認定は上げられませんが。もう少し頑張ろー。

*1:フツーの高級車のことです。ロールスロイスとか超富裕層御用達の高級車ではなくて。

*2:Credo。従業員の心がけるべき信条・行動指針を明文化したもの。

其の41 TOYOTA Purius のブランド考察

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TOYOTA ホームページより

 

  メルセデスベンツの例を引用するばかりじゃなくて、国産車のブランドについて今回は書きたいと思います。

 

  と言っても、私はお恥ずかしながら機械音痴、メカ音痴。小学生の頃には零戦の模型すらまともに組み立てられず投げ出したくらいです。

 

  長じて結婚後に初めて自分で所有した車が日産の真っ赤なブルーバードSSS。義理の叔父が譲ってくれた名車(多分)です。5年ほど乗っていましたが、一度もボンネットを開けたことがなかった。

 

  結婚して35年、この日産ブルーバードを含めて国産車3台、外車4台を乗り継いできましたが、ボンネットを開けたことが一度もないんです。

 

  つまり自分の車のエンジンを見たことが一度もないんです。

 

  というわけで、メカとしての車には超疎い私ですが、書いたように35年で7台、一台平均5年のローテーションで新車を購入してきたんだから立派に車の消費者です。ブランドを語る権利はある!☺️

 

  さて、そんな私の心に楔を打ち込んでいる日本の車が2種あります。私の頭の中に確固たるイメージがあるので、これまさしく『ブランド』です。

 

  それはトヨタプリウスLexusです。

 

  まずプリウス

 

  1997年に初代モデルが発売されて以来、エコカー(こんな言い方は雑駁ですが)の代名詞となったプリウス

  最近は電気自動車が隆盛で、EV、PHVやら水素燃料車やら百花繚乱の様子ですが、それぞれのプロコンはメカ音痴のわたしにはさっぱりです。

 

  なので、雑駁に「エコカー」と言いますね。

 

  エコカープリウスは、実は外車を買う際に常にセカンドオプションとして胸に秘めてました。

 

  燃費がいいとかそういう経済性の問題ではなくて。なぜだか気になっていたんです。ずーっとです。

  自分の車を2台持てたならきっととっくに買っていたでしょう。

 

  妻も車を足として使って仕事をしているので、燃費の線で説得して、自車として買わせようと企みましたが、ダメでした。エコ志向がないんですね。まったく。

 

  さて、プリウスが何故か気になっていたわけですが、ある時に「そういうことか!」と腹落ちしたんです。

 

  盟友のマーケター氏とランチしながら打ち合わせをしていた時でした。

 

  お互い今乗っている車の話になった時に、彼が愛用しているプリウスの話をし始めました。

 

  曰く自分は以前は走り屋で、次から次へと車を変えたものだけど、プリウスに乗るようになってから随分心持ちが変わってね、追い越されてもカッとしたり、鈍い車を煽ったりしなくなった。

  お先にどうぞスピリッツというか。そんなに焦ってどこへ行く的な心の余裕というか。。。

  やっぱりエコロジーマインドで乗っているわけなんで。自然とそうなるよね。エコマインドのある人間が煽ったりしちゃダメでしょ。

 

・・・なるほど。膝を打ちました。

 

  自分が長い事プリウスという車が気になっていた理由がわかりました。

 

  自分はどこかでエコマインドのある人間に憧れがあったんですね。

 

  神田の生まれ育ち、つまり江戸っ子なんで短気なことには自信があります。😁

  反面、車に乗る時くらいはイライラせず、気持ち穏やかに過ごしたいという潜在的な反動意識がどこかにあったんですね。

 

  マズロー*1とマレー*2が共通して指摘している人間の持つ「承認欲求」が自分のこの気持ちの背後にあると思います。

 

  やはり、どこかで「意識高い」系だと思われたいという邪心が私の心のどこかに潜んでいるのでしょう。

 

  つまりPriusのEmotional Valueは、小池百合子都知事風に言うと☺️ Wise Spending、自分はエコもちゃんと意識してるWise Spenderであるという自己満足感であり、本能的な欲求は「それを認めてね」という承認欲求だと思います。

 

  私が今乗っている車はメルセデス・ベンツです。脚が悪いので(運転には問題はないんです。)室内高が高く、安全機能もてんこ盛りなB Classに乗ってるんですが、心のどこかにマレーの欲求リストで言うと「優越欲求」があるんだと思います。だから他のベンツオーナーに「B Class? あー、なんちゃってベンツみたいな。」と言われて凹むんですね。☺️ 

 

  メルセデスに感じるオーナーの優越感、一方でプリウスに惹かれる「エコマインドフルな私」をいいね!と言って欲しい承認欲求。どっちなんだよ!と言われそうですが、人の志向嗜好はもともと不合理なんですから。☺️

 

  ダイアモンド誌が2019年にブランド研究の泰斗、デビッド・アーカー名誉教授(カリフォルニア大学ビジネススクール)にインタビューした際、氏のプリウスの成功に関しての次のような発言を紹介しています。

世界初のハイブリッド車として登場したプリウスは、「地球温暖化問題に取り組む」という高次の目標を顧客、社会と共有しました。そして実際に、環境にやさしく、優れた技術を持った製品でした。

プリウスを運転していると、それを見た近所の人や友人が「あの人はハイブリッド車に乗っている」と気付きます。つまり購買者はプリウスに乗ることで、「地球温暖化に関心を持ち、実際にその防止に貢献している」という姿勢を周囲にアピールすることができる。

 

  ほらね。☺️ アーカーさんも言っています。下線の部分、簡単に言えば「(エコ)意識高い系」に思われたい承認欲求ですよね、つまり。

 

  室内高の高いプリウスが出たら、買うんだけどな。(妻の同意が絶対条件ですが。☺️)

  あ、それかLexus。私の中で Lexusメルセデスとブランドイメージが違うんです。メルセデスに感じる「優越欲求」。Lexusに感じる欲求はそうじゃない。

 

  その話は次回に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:エイブラハム・マズローアメリカの心理学者。欲求5段階説で有名。

*2:ヘンリー・マレー。アメリカの心理学者。39種類に及ぶ人間の欲求リストを作成した

其の40 Copy Strategy って何?

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Copy Strategy って言葉聞いたことあります?

 

  欧米系企業を長く担当してきた広告人だったので、この言葉は嫌ってほど聞きました。

広告提案をする時のいわば一丁目一番地なんです。

 

  広告クリエイティブの制作はこれから始める。

 

  広告を作る際の設計基本マニュアルと言えば分かりやすいかもしれませんね。

 

  日本の広告人、企業の広告担当にCopy Strategyといっても、ピンと来る人はほとんどいないでしょうけど、カンヌ広告祭に行って海外の広告人を取っ捕まえて、Copy Strategyって言葉知ってる?と聞いたら「あなたは私をからかってるのか?」と怒られるでしょう。それほどあちらでは当たり前の広告用語です。

 

  Copyは広告表現と訳すといいと思います。広告表現戦略。

 

  MarkeringStat.com という海外サイトに以下のような説明が書いてあり、簡潔にして要を得ているので以下引用します。

 

What is the copy strategy?

The Copy Strategy determines what to tell the customer about your brand, so to win their preference....(以下日本語訳にしました)

 

コピーストラテジーって何でしょうか?(以下CSに略)

 

CSは顧客にブランドのどんなところを伝えれば、好感してもらえるかを策定したものです。

 

CSは三種類の要素から成り立ちます。

 

 

Benefit(便益) またはPromise(約束) : 例えば、洗剤BrandXは他の競合ブランドのどれより洗濯物をきれいに、白くします。

Support (裏付け) またはReason (主張する理由) :ブランドが」約束する便益をもたらす理由はなにか。具体的なデータに紐づけるケースが多い)

Tone: ブランドがどのような情趣に受け取られて欲しいか。例えば、現代的で先進的。

 

  というわけです。企業によってCopy Strategyは差があり、違う要素が加わることがほとんどですが、この3大要素は鉄板です。つまりここを押さえておけば、外れることはないんです。

 

  「外れることはない」というのは、広告をつくる際に企業側社内の関係者の的外れ、広告代理店側の暴走などを回避することができるという意味です。☺️

 

  こういった「ハズレ」って実際ホントに多いんです。広告をつくったことがある人ならば絶対わかる。広告代理店側だった自分は過去何回も脱線暴走したことがあります。その時の対象商品にはCopy Strategyは無かったんです。無いことをいいことに・・・😁

 

 

  なぜこのCopy Strategyの話を持ち出したのか。以前 Brandingの要点は、Consistency とContinuityであると書きました。

 

  一貫性と継続性。これを担保するためには明確なPis itioning StatementとCopy Strategyが不可欠です。って偉そうにいってますが、30年間にわたり欧米系企業の「外人」幹部たちのブランディング虎の穴😂道場で叩き込まれたんです。

 

  Positioning Statement、なんかまた聞き慣れない言葉が出てきましたよね。これはポジショニング概念を明文化したものです。

 

企業マーケティング部長 

「君ぃ、こんな広告の提案なんかしてきて、大事な我が社の製品のポジショニングが全然わかってないね!」

広告代理店担当

「申し訳ございません。わかってませんでした・・・。ところで、そのポジショニングを念のためもう一度教えていただけますか? お手数ですが。」

マーケティング部長

「そんなもの自分で考えなさいよ!それが仕事でしょ!」

(広告代理店担当が帰ったのち)

部員を急かす部長

「あの製品のポジショニングの書いてある資料、ちょっと用意しておいてよ。」

部員

「そういったものはないんですけど・・・」

部長

「え!ないの?」

部員

「特に必要がなかったんで・・・代理店に言ってすぐ作らしときます!」

 

  なんかいかにもありそうな会話を妄想してみました。☺️

 

  ポジショニング概念を明文化してPositioning Statementsを作る・・・

  これって企業のマーケティング部の仕事です。広告代理店が作るような性質のもんではありません。部長、違いますよ!😀

 

  元日本マーケティング学会会長で中央大学ビジネススクールの田中洋教授は大著「ブランド戦略論」*1でポジショニング概念についてこのように書いています。

 

ポジショニングとはどのようなものか。ポジショニング概念を最初に唱えたRies&Trout(1994)は「マーケティングとは商品の戦いではない。知覚の戦いである」といい、さらに「マーケティングにおける最も強力なコンセプトは、見込み客の心の中にただ1つの言葉を植え付けることである」と述べている。ライズとトラウトはこのような「強力な」言葉の事例として、ボルボ=安全性、メルセデス=技術、ペプシコーラ=若者、などを挙げている。つまりより簡単で、競合と差異性のあるポジショニングをメッセージによって伝えることがポジショニングを成功に導く早道であることになる。

 

 

   Positioning Statementって大きなテーマなので、ここでは深掘りはせず、本稿のCopy Strategyに話を戻します。要はPositioning Statementが先ずあって、それを念頭に広告を制作するためのCopy Strategyを用意するということです。

 

  広告を作る際には「こんな広告をつくってね」というブリーフィングを企業から広告代理店にするわけですが、妄想会話に出てきた😁部長さんじゃないですけど、広告制作方針書と言ってよいCopy Strategyが存在しない、ってことは実はよくあります。

 

  日本企業ではブリーフィング書類はあっても、広告制作の指針に特化したCopy Strategyがあることの方が珍しいかもしれない。いや、そうに違いない。😀

 

  ブランディング重視のConsumer Products メーカーの多国籍企業では逆にほとんどあると言って間違いないでしょう。

 

  先述した3種の神器😁である Benefit (Promise)、Support (Reason)、Toneに加えて、よくあるのはWhat to sayに How to sayという項目。何を伝えるのか、どのように伝えるのかの項目です。

 

  この項目は広告表現に直結している重要なパートなんです。

 

  What to say, これはちゃんと絞り込まれていなきゃダメです。あれもこれもはだめ。

 

  前出の田中洋教授が「ブランド戦略論」の中で書いたように、米国のマーケティング学者ライズとトラウトはペプシコーラがブランドのポジショニングを一言で「若者」に代表させたと見立てましたが、ペプシコーラのCopy StrategyにはWhat to sayの項に「Pepsi cola is the choice of the new generation」と書いてあったと思います。余計なことを四の五の言わない。😁 どうせ人はいくつものメッセージなんか覚えられないんだから。

 

 

  こうした広告の設計指針を示したCopy Strategyがあれば、妄想会話の部長さんと広告代理店のようなすれ違いをミニマムにして効率を高めることが可能になります。

 

  もちろんこのCopy Strategyもクライアント側、つまり企業側が用意する性質*2のものです。

 

  複数の広告代理店を使い分けることが多い日本企業こそ、このCopy Strategyは持つべきです。各代理店からの提案を同じ土台に乗せることができますから。

 

  よく出来たCopy Strategyというのは、A4一枚のシートにまとまっています。二枚までは許しましょう。😁 

 

  実際につくってみると、多くの要素を考慮した挙句、断捨離に断捨離を重ねないとシンプルなものに辿りつかないということがわかります。シンプルで無いとダメなんです。人によって解釈が変わってしまわないように。クリエイティブ・バイブルなんですから。

 

  マーケターの方、試しに私につくらしてみませんか? Copy Strategyのゴーストライター経験豊富なんです。😁

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:有斐閣、2017

*2:過去30年以上の経験では、実は新製品のCopy Strategyを広告代理店側の私が舞台裏で作ったこともあります。それをクライアントに渡して、会議の時に先方が「これがCopy Strategyとなっています」と私に渡すんです。知ってますよ。私が作ったんだから。😁

其の39 swatchのブランディング

 

 

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皆さん、腕時計のswatchはもちろんご存知ですよね。

 

 swatchってある英語の略で出来たブランドネームなんですけど、何だか知ってますか?

 

 swiss watch。単純明快。私も最初そう思いました。

 

 実はsecond watchの略なんです。単純明快なのは同じ。😁

 

 このsecond watchという言葉には、swatchマーケティング戦略が透けて見えます。

 

 swatchは1983年にスイスでニコラス・G・ハイエックが創業した会社です。

 

 スイスは錚々たる高級時計ブランドの生誕の地ですよね。私の好きなブランド*1と創業年は以下の通りです。

 

オメガ・・・1848年

ブレゲ・・・1775年

ロンジン・・・1832年

ジャガー・ルクルト・・・1833年

IWC・・・1868年

ロレックス・・・1905年

 

 実はオメガとブレゲは100年以上も後に創業された新興のswatchM&Aされて今やswatchグループなんですね。

 

 ちなみにブラゲが創業された1775年は、アメリカが英国からの独立宣言をした1776年の一年前です。

 この100年近くの後になる、IWCの創業された1868年って、日本では明治元年なんです!

 

 超老舗の居並ぶスイスの時計業界では比較的新手😁になるロレックスの創業は1905年、それでも日本では明治38年、なんと日本国海軍が日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦のあった年です。

 

 日本も負けていません。日本が誇る時計ブランドSEIKO、服部金次郎氏が服部時計店を創業したのは1881年明治14年です。板垣退助自由党を結成した年です。ロレックスより四半世紀も早い。どうだっ!😀

 

 時代はさらに下って1969年、SEIKOが世界に先駆けて実用化した水晶発信装置による腕時計*2、クォーツ時計は世界を驚かせ、それまで比類なき精緻さで時計と言えば機械式スイス時計だった常識を覆したんですね。

 

 1970年代には日本製クォーツ時計は世界市場を席巻して、スイスを筆頭にする欧米式機械腕時計は売り上げ爆下げで大打撃を受けました。

 

 そりゃそうです。

 機械式の誤差は日差−10秒から+20秒が許容範囲と言われているのに、クォーツ発信時計は月差±15秒以内がほとんどの由。

 

 勝負になりません。

 そもそも機械式が日差を基準にしているのに、クォーツ式は月差ですから。

 

 

 さてそんなクォーツにやられっぱなしの1970年代が過ぎ、1980年代になってswatchが登場します。全く異なるコンセプトを引っ提げて。

 

 世界に冠たるスイス時計の中にあって、スイスの歴史家に言わせればきっと「つい最近出てきた」新参者のswatchのそのブランドの在り方は異彩を放っています。

 

機械からファッションへ。

 

 それまで腕時計の優劣というのは其の機械としての精緻さが要点でした。もちろん有名ブランドはデザイン性も高く、お洒落のアイテムと言えるのですが、なんせお高いものなので、一度買えば長持ちするように大事に使い、何本も持つようなものではありません。

 

 裕福な人には何本も高級時計を所有するコレクターがいますが、一般的にはやはり一本の腕時計を長く愛着を持って使い続けるのが普通でしょう。

 

 swatchは全く違う方向を志向しました。

曰くswatchはファッション・アイテム。

 

 欧米のブランドはこうと決めたら徹底します。ブランドはConsistensy & Continuityという信条を頑固に遵奉します。

 

 swatchは登場するとアパレル・ファッションであるが如く、春夏と秋冬新作コレクションを年2回新発売。まさにアパレルコレクションです。

 

 ファンを喜ばせる限定モデルも多数出していて、クリスマスモデルやジェームスボンドの007コラボモデルもあるんです。

 

 ポジショニングは名前に隠された言葉の通りSecond Watch。ナンバー1の時計はIWC、Rolex、ないしはGrand Seikoかもしれないけど、それはビジネスパーソンにとってのスーツ、それとは別にリラックスしてお洒落をするような気分で時計も着替えましょう、というファッション志向が現代の顧客をガッチリと掴んだわけです。

 

swatchのホームページ(swatch Japan)を覗いてみました。

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な、なんてお洒落なんだ!

 いきなりValentine's Day コレクションとChinese New Yearで画面は真っ赤。

新作コレクションからスペシャルモデル、定番モデル・・・とキリがないです。

 ホームページを回遊してると1時間くらい平気で過ぎちゃいますね。

 

 

 

 冒頭の写真は東京オリンピック記念デザインswatchで1964年バージョンと 2020年バージョンです。1964年にswatchは影も形もありませんから、もちろんこれはずっと後になって、オリンピック開催都市をデザインモチーフのシリーズが発売されたときのものです。

 

 1964年東京オリンピックモデルは、2000年前後だったと思いますが、仕事でスイスのローザンヌを訪れたときにIOC*3近くにあったswatchショップで買い求めたものです。

 

 直近で購入した2020年東京オリンピック記念モデルは、残念ながらオリンピックがコロナ禍で2021年に延期になりましたが、2021年に開催したとしても東京オリンピック2020と呼称するようなので、まだこのモデルはイキですね。なくなると、それこそ「幻の記念モデル」となるわけです。希少価値が出る?☺️

 

 なんやかんや言って、私はswatchを過去10本近く買ったと思います。1万円前後の絶妙に買いやすいお値段設定なので、つい手が出てしまうんですね。ムーブメントはクォーツですから、正確性に問題はありませんし。

 

 このアパレル・ファッションブランドのようなコレクションの多さと、買いやすい値段、というSecond Watchとしてのmaxな魅力は、カシオのG-Shockがまさに今ポジショニングしているところではないかなと思います。

 

 女性をターゲットにつくられたG-Shock Miniとやはり女性向けに企画された超薄型のswatchのSkinシリーズをセカンドウォッチとして私持ってました。

 

 ゴルフを頻繁にやっていたときに重宝してたんです、どちらとも。swatch skinはしているのを忘れてしまうほど軽く薄いし、G-Shockはスイングしてすっぽ抜けて飛んで行ってたとしても壊れないし。そんなわけないか。😁

 

 真面目な話、カジュアルでお洒落だし、普段使い、まさにセカンドウォッチとして愛用していたんです。

 

 ところで「買いたい気持ち」を引き出すドーパミンを分泌させる、swatchというブランドが刺激する人の本能ってなんなんでしょうか?

 

 前項で紹介したアメリカの心理学者ヘンリー・マレーのとなえた本能的な人間欲求説のうち、物質的欲求に「保存欲求」、別な言葉で収集欲求というものがあります。

 

 swatchG-Shockはこの収集欲求という本能を刺激するのだと確信します。ファッショナブルといっても、アパレルブランドとはここが決定的に違うところでしょう。

 

 シャネル、プラダなどのハイファッション・ブランドはマレーの言うところの「顕示欲求」=

他人の注意を引きたい、と「優越欲求』=他人より優れていたい、社会的地位を高めたい、を刺激しているはずです。

 

  収集欲求・・・強い本能っぽいですね。切手の収集家、記念コインの収集家、昆虫標本収集家・・・なんでそんなにお金を使えるんだ!と言うほど病膏肓に入ったピーポーがたくさんいますよね、きっと。😂

 

 時計は刻をきざむ正確性が求められた時代から、刻の流れを味わう時代に変わってきたと感じます。クォーツ式のあのカチッ、カチッと動く秒針とは違い、職人技でつくられたゼンマイのチカラで連続的にスムーズに動いていく秒針は、人生は連続していくものと告げてくれているようで気分が良くなります。

 

 一本50万円以上はする機械式のGrand Seikoの販売が好調ですが、スイス式の歴史ある高級機械式やGrand Seikoは、同じ時計でもswatchとは違って、マレーもマズローも共通してとなえている「承認欲求」という本能を刺激しているのかもしれません。

 「Grand Seiko」が似合う大人になったんだね、と人に思われたい、自分を褒めてあげたい・・・そんな承認欲求な気持ちが沸き起こる。「ドーパミンな瞬間」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:所有しているということではありません。あくまでも好きなという意味です。みて分かるように富裕層が買うような超高級時計は含まれていません。逆立ちすればなんとか・・・という範囲です。超高級富裕層御用達ブランドは土地勘がありません。😁

*2:SEIKOアストロン

*3:International Olympic Committee

其の38 ブランディングは脳科学 ⑧

  ブランド・ソーマの話、本稿でひとまず区切りを付けたいと思います。もう8稿目ですからね。早く結論を言え!とイラつくマーケターの顔が浮かびます。

  結論から言うと、最強のブランド・ソーマってエリック・デュ・プレシシスの表現する「ドーパミンな瞬間」をつくるソーマだと思うんです。

  ドーパミンを分泌させるブランド・ソーマというのは、人の本能的欲求を刺激するものだと確信します。四の五の言っても人間、本能には逆らえませんから。

  人間の本能的欲求について、最も広く知られているのはアメリカの心理学者エイブラハム・マズローのとなえた「欲求5段階説」ではないでしょうか。
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  一番底辺の広い「生理的欲求」から始まって、上に向かって「安全欲求」、「社会的欲求」、「尊厳欲求」、そして最上位にある「自己実現欲求」と昇華していく正三角形図形は、マーケターの人なら一度は観たことがあるのではないでしょうか。

  知っている人には繰り返しになりますが、おさらいをしときますね。

第一階層の「生理的欲求」
人間という動物としての基本的欲求である「食べたい、飲みたい、寝たい」などがこれに当たります。排泄したいも入ると思いますね。

第二階層の「安全欲求」
危機回避、安全な生活がしたい、などです。まず生きること、その次は安心に生き延びることと理解すればいいですかね。

第三階層の「社会的欲求」
集団に属したり、仲間を求める欲求です。組織や家族、地域コミュニティーなど、所謂社会集団に属して安心を求めることです。所属と愛の欲求とも呼ばれます。


第四階層の「承認欲求」
承認欲求、尊厳欲求とも言われています。コミュニティに属するものとして他の人から認められたい、尊敬されたい、ということですね。
SNSでの「いいね」がこれに当たるのだと思います。


そして最上位の
第五層の「自己実現欲求」
他者からの承認が得られると、次に向かうのは人がどう見るかより、自分が納得できる、いわゆる「ありたき姿」になりたいという、より高度な自己実現なんですね。

  マーケティングの泰斗フィリップ・コトラーは最近、自己実現欲求を超えて人は「利他的行動」を行う次元の欲求を持ち始めていると語っています。

  さて、マズローの欲求5段階説、納得はできます。できますが、なんかいまいち「そうそう、それそれ」感が足りないなぁ、と。

  現代人だと、第三層以上、特に第四層にほとんど欲求が集中してしまうような気がします。

  前稿で書いたショッピング・チャンネルで買いもしないのに観ているだけでドーパミンが出て多幸感に包まれるのは、他者と比較しているわけじゃなく、「この商品を手にして幸せな自分」を想像するわけで、これはマズロー的に自己実現ですよね。

  若き頃のシュッとしたカラダを手に入れた自分を想像して幸せになれるライザップ。
みんな第四層じゃないの。😁

  もう少しこの本能からくる消費者の動機、Consumer Motivationを研究し、人間の欲求をリスト化したのがやはりアメリカの心理学者ヘンリー・マレー氏です。マレーの欲求リストには39種類の欲求があります。人間ってよく深いんですね。😁

  マレーは人間の欲求を大きく二つに分類しています。


○ 臓器発生的欲求 人間の臓器と直接関連する第一次的欲求
○ 心理発生的欲求 人間の臓器と直接関連しない第二次的欲求

  マレーがこのリストを提唱したのは1938年のことですが、80年後の今もこれ超validだと思います。


  臓器発生的欲求は文字通りで、吸気・飲水・食物・排尿排便・・・等々12種類があげられていますが、マーケター的にはAh, soでいいかと。

  心理発生的欲求こそがマーケターが注目すべきところです。

  28もあるんです。とりあえず羅列します。

物質的欲求

1) 獲得欲求 色々なものを手に入れたい
2) 保存欲求 収集
3) 秩序欲求 整理整頓
4) 保持欲求 お金、モノを手放したくない
5) 構成欲求 組み立てたい、築き上げたい

野心・向上心欲求

6) 優越欲求 他人より優れていたい、社会的地位を高めたい
7) 達成欲求 困難を乗り越えて成功したい
8) 承認欲求 認められたい、尊敬されたい
9) 顕示欲求 他人の注意を引きたい、人を楽しませたい

自己防衛・保身欲求

10) 不可侵欲求 自尊心を傷つけられたくない 批判は避けたい
11) 屈辱回避欲求 恥をかきたくない
12) 防衛欲求 非難されたくない、言い訳してでも自分を正当化したい
13) 中和欲求 失敗を取り戻したい、弱さを克服したい

支配・権力に関する欲求

14) 支配欲求 他人をコントロールしたい、影響を与えたい
15) 服従欲求 優秀な人に従いたい、協力したい、仕えたい
16) 模擬欲求 他人を真似たい、同意・同化したい
17) 自立欲求 他人の支配影響に抵抗したい、独立したい
18) 対立欲求 他人と違った行動を取りたい、ユニークな存在でいたい
19) 攻撃欲求 他人を攻撃して奪いたい、軽視・意地悪したい
20) 屈従欲求 他人に降伏したい、謝罪したい、痛み不幸を楽しみたい

禁止に関する欲求
21) 非難回避欲求 法律ルールに従いたい、処罰追放を避けたい

愛情に関する欲求 
22) 親和欲求 他人と交流したい、集団に加わり仲良くしたい
23) 排除欲求 他人を差別排除したい、無視したい
24) 養護欲求 困っている人を助けたい、保護したい
25) 救護欲求 愛されたい、許されたい、慰められたい

遊戯に関する欲求
26) 遊戯欲求 リラックスしたい、遊びで楽しみたい

情報に関する欲求
27) 認知欲求 知識を得たい、理解したい、好奇心を満足させたい
28) 証明欲求 情報を提供したい、他人を教育したい

  いやぁ、よくこれほど細密にリストアップしましたね。

  人間てなんて欲深い動物なのだろうかと感心します。

  しかもほとんどのリスト項目、考えてみると身に覚えがあります。
  
  妻のショッピング・チャンネルでの多幸感、これはもうリストのいの一番の1)獲得欲求ですね。間違いない!😁


  これらの本能的欲求に結びついたブランド・コンセプトは強い欲求なんだと思います。本能には逆らえない。😁

  でも、考えてみると、これらの欲求リストの項目からはブランド・コンセプトは出てこないと思います。
   
  このリストをいくら見つめていても、ライザップのあの「若き日のシャープな自分を取り戻す」というコンセプトを捻り出すことは叶わないでしょう。

  逆で、「若き日のシャープな自分を取り戻す」をこの28のリストに当てはめてみて該当する『本能から来る欲求』があるかどうかチェックするのが良いのではないかと思います。

  私はライザップは以下のに該当すると見立てます。

  Primaryには 7)の達成欲求。ライザップのトレーニングとダイエットはなかなかに厳しいと認知されています。これをやり遂げることは達成欲求を満たしてくれます。

  Secondaryに 15) 服従欲求です。
ライザップのトレーナーは厳しい要求をトレーニングにせよ、食事指導にせよ、突きつけるようですね。人にはそうした厳しい指導に従いたいという服従欲求があるそうで、これにもミートしています。

  二つの本能的欲求を刺激するわけだから、ライザップのブランド・コンセプトは強いはずです。

 「それは今まで考えたことがなかった!」という意外な欲求がありました。整理整頓を欲する「秩序欲求」です。なるほど。日本人恒例の年末の大掃除はそうですかね。これを書いたヘンリー・マレー氏はアメリカ人ですから、大掃除じゃ締まりませんね。

  「片付けのカリスマ」こんまりこと、近藤麻理恵さんのこんまりメソッドには世界中が熱狂したわけですから、秩序欲求はやはり普遍的なものと言えましょう。


  さて、欲求リスト、これに当てはまらないとブランディングのコンセプトにならないというつもりはありません。当てはまるモノはより強いコンセプトでありましょう、ということです。本能的欲求を満たすわけですから。

  このヘンリー・マレーの「欲求リスト」と突き合わせることは、自分、自社で考えたブランド・コンセプトの強さを検証するに有効なのではないかと思います。


  さて、ブランド・ソーマについての論は本稿で一区切りとします。

  「で、ブランド・コンセプトはどーやってつくるんだよ!」と言うマーケターの貴方、それはまた別な話で、いずれシリーズだてして書くつもりです。長くなります、この話も。😀