必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ

ブランディング・コンサルタントの経験譚。Barで若きマーケーターとスコッチ飲んで話す気分で。ブランディング & マーケティング・コミュニケーションのあれやこれやを分かりやすく、自分の言葉で。

其の54 昭和の名ブランディング〜ミスタードーナツ ①

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ミスタードーナッツ・ホームページより 箕輪第一号店創業当時
前稿まで8篇を費やして、梶祐輔氏(日本デザインセンター創立メンバーの一人)が名著「広告の迷走」で繰り広げた日本の広告の有り様についての手厳しい批判と直言、提言をご紹介してきました。 氏が諸悪の根源と断罪したのは、短い時間しか工夫が許されない、でも高価な15秒テレビスポットという媒体の存在でした。 私が生まれた昭和31年、西暦1956年という年は「もはや戦後ではない」という有名な言葉が記された経済白書が出た年です。10年前に米軍から大空襲を受けて焼け野原と化した出生地の東京都神田は既に「戦後ではない」といわれるのも不思議ではない急復旧を果たしていました。全国も同様だったろうと思います。 コマーシャルを収入源とする民放テレビは1953年の日本テレビ放送の開局以来、「ニューメディア」として破竹の勢いで成長し、私が小学生になってテレビに齧り付いて「力道山」のプロレス中継を白黒テレビで観ていた頃、梶さんに広告の迷走の原因と喝破されたテレビCMも、旧来の主力マスコミであった新聞を追い越し、隆盛を極め始めていました。 雲霞の如く放映される、短期効果で終わってしまうであろうタレント頼みの商品名連呼型のテレビCM・・・確かにTVCMの多くは、人々の関心を引きつけるための有名タレントを起用、商品名の連呼をする、つまりはノイズを良きものと前提し作ったものでした。それを企業の宣伝部も広告代理店も「インパクト」と呼び、毎回抜く伝家の宝刀として重宝していたんです。 死屍累々たる使い捨てTVCMの山に、梶さんの嘆きと大きなため息が聞こえてきそうですが、私は実はこうした瓦礫のなかにもキラリと光るブランディングCMはあったと直感しているんです。 そのTVCMは、表面上はタレント頼みに見えますが、実は制作者がちゃんと消費者に伝えるべきブランドのコアを仕込んでいたであろう、言ってみるなら「隠れブランディングCM」です。 昭和の高度成長期にあった、そんな「隠れブランディングCM」を紹介していきたいと考えます。 まずはミスタードーナツ。 ご存知だと思いますが、ミスタードーナツを経営する親会社は清掃用品レンタルのダスキンです。 なぜ清掃業界会社が食品なのか?と素朴に疑問を持ちますよね。事業間に距離がありすぎ、シナジーイフェクトのカケラも感じられません。 でも見方を変えると、距離はなくなるんです。何言ってんだ!と怒られそうなので、即ネタバラシにいきます。 実は共通項はフランチャイズ・システムなんです。 ダスキンの創業者がアメリカのフランチャイズ・システムを導入してダスキンの前身サニクリーン社を創業したのは1963年です。 そしてそのわずか8年後に新たなフランチャイズ・システム事業として、当時アメリカで一般的だったファーストフード・フランチャイズ・ビジネスのミスタードーナツと提携し日本で事業開始したんですね。同じ年には三菱商事ケンタッキーフライドチキン1号店を名古屋で出店しています。 そして同じく1971年、マクドナルドの日本一号店が銀座に出店します。ファーストフード日本上陸の年と言えます。 さて、陸続と日本に登場したアメリカ発のファーストフードのチェーンですが、共通しているのは日本には無かった食文化を消費者に理解させ、来店してもらうことが必須だった事です。 本稿はミスタードーナツに関してなので、これについて考察します。 知ってはいるものの、そもそも日本にドーナツを日常的に食べるなんて習慣はないわけです。しかもお店に行ってまで。 当時日本人が知っていたドーナツといえば、ビニールの袋に入った、糖分でしっとりとしてしまったベタベタに甘い菓子だかパンだかわからない食品・・・だったはずです。 でも、ミスタードーナツの店頭に来てくれれば、数多くの本場のドーナツの品揃えと、美味しさを味わって貰える・・・まさにSeeing is believingが要点だったはずです。 一に来店促進、二に来店促進。これがミスタードーナツ・ジャパンのマーケティング大方針だったと思います。 ミスタードーナツは立ち上げ直後から、オリジナルコーヒーカップの景品プレゼントなど店頭プロモーションを主軸にしたTVCMを打っています。 アプローチの仕方は、日本人無名タレントを使ったもの、白人モデルを使ったもの・・・様々で、前述の梶さんの言う、短期的視野でしか考えないプロモーション広告の結晶☺️のようなCMでした。 ガラッと流れが変わったのは1985年に、明石家さんま片桐はいりの二人を起用した面白CMからです。 youtu.be youtu.be そして、なんと若き日のダウンタウンyoutu.be この面白CMが放映されたのは1985年で、ここからミスタードーナツ独自の世界が加速するのは、1987年の所ジョージを起用したシリーズが開始されてからです。それはまた次回に。

其の53 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑧ 終章〜

f:id:brandseven8:20210424101057j:plainアメリカのブランド観」というタイトルで梶さんは、数多くの広告理論同様、ブランド理論はアメリカで生まれたと紹介しています。

ブランドは資産であるという考え方を展開したのは、マーケティングを生業としているひとなら周知のディビッド・アーカー*1教授です。その考えがアメリカを席捲したのは1990年代初頭です。

遡ること10年、1980年代の初めアメリカはどんな時代だったかということは注目するに値します。アメリカは石油ショックの影響もあり、デフレ状態に突入、1980年には景気後退 (リセッション)局面に入ります。


今のアメリカからは考えられないですよね。2021年現在(2021年5月15日)、アメリカの株式市場はNYダウが史上最高値を更新しており、特にアメリカの経済を牽引している企業がGAFAGoogleAmazonFacebookAppleテックジャイアント4社です。

これにMaicrosoftを加えればGAFAMの5社となるわけですが。創業年はGoogle 1998年、Amazon 1994年、Facebook 2004年であり、最も古いAmazonからまだ20余年しか経っていない。この3社はその後アメリカ経済を牽引するIT ソフトウェア革命をなしたInnovation Companyです。

Maicrosoft、Appleは創業1975年、1976年ですが、この二社は当初ソフトウェアというよりコンピューターという「ハード」を作るメーカーだったわけです。ビル・ゲーツがPCの画期的オペレーティングシステムWindows95を発売して世界を席巻したのは、文字通り1995年のことです。

話を戻します。1980年代という時代にアメリカは何処にいたのか。1980年代後半は、日本がまさにバブル経済の絶頂にいた頃です。
以下、梶さんの「広告の迷走」から要約引用します。

ちょうど1980年代の後半から、アメリカは深刻な不況にあった。200を超える貯蓄銀行不良債権を抱えてパンク、メイシー百貨店が破産、ロックフェラー・センターをはじめいくつもの有名な建物が日本企業に買収された。
消費は沈滞、1987年のブラックマンデーを経て、アウトレットという業態が生まれアメリカは「激安大国」になった。広告主たちには安売りに走るところが激増した。
そんな最中の1994年、ブランド・エクイティ連盟というところ(全米の主要広告主、広告代理店、媒体社が共同で立ち上げた)が非常に印象的な広告をニューヨークタイムズに掲載した。(表題下の広告がそうです。「広告の迷走」に転載されたものです)
ビジュアルは読者に向かって突き出された人間の足の裏。モルグ(死体置き場)に置かれた死体の足で、親指には50%オフの値札が。
2行のキャッチフレーズ。
ブランドは自然に死ぬのではない。
自殺させられるんです。*2


この広告から紐解いて、梶さんはブランドの持つ真の効果を紹介しています。

安売りは問題の解決にならない、安売りによって買うお客は、もっと安い商品があればそちらに流れてしまう。長年かけて消費者と築いてきたブランド価値を一夜にしてダメにしてしまう暴挙、と警告を発しています。

そしてブランド・エクイティ協会の某氏の次の発言を引用します。

彼らはブランドが金の卵を産むということを忘れてしまったのだろうか。ブランドを適切に管理することによって、ブランドは何年にも渡って利益を生む財産であること、景気が悪い時ほどブランドは威力を発揮すること、を忘れてしまったのだろうか。

ブランド・エクイティ連盟はアメリカが不景気に喘いでいる時に結成されました。まさに、不景気の時だからこそ値下げ競争をするのではなく、ブランドを守るべし、という事だったんですね。

ルイ・ヴィトン・ジャパンを立ち上げた名経営者の秦 郷次郎氏は著書「私的ブランド論」で、ルイ・ヴィトンは値引きセールは決してしないポリシーであると語っています。

ブランドを徹底して大事にする欧米外資系の担当を長くしていて、嫌というほど言われたのはこのことです。

値段を下げてプロモーションをするのはブランドの自殺行為だ、値段を下げることは品質に対する購買者の期待を無意識下に下げる事になり、この悪循環に陥ってしまう。
ブランドに自信があるならば値下げはするべきではない。それはブランドのファンに対する裏切り行為である、と。

しかしながら、何故この分かりやすいテーゼが日本では重要視されないのでしょうか。

それは、日本では商品の種類が多品種であり、ブランド価値といったときに、それが企業のコーポーレート・イメージを意味する事になると誤認識されたからだと確信します。

企業の一つの商品が値引きセールをやったからと言って、企業全体のコーポレートイメージを毀損するわけではないと高を括っているのでしょう。

しかしながら、ブランドというのは会社全体を指しているのではなく、個々の商品の物性を超えた付加価値のある「印象」です。

世界最大の食品会社ネスレは世界で3000を超えるブランドを保有しています。多品種です。

しかしどれをとってもネスレの名前で売るのではなく、個別のブランド名でアピールしています。彼らはそれをプロダクト・ブランドと呼んだりします。

比して、日本ではブランドは商品の上位概念にあたるコーポレート、企業のアンブレラ・ブランドを実質的に意味することが多く、個別の商品をブランドと呼ぶ事はあっても、それは物性的商品を指しているだけです。それはブランドとは言えません。
なぜなら、以前にも書きましたが、「ブランド」とは商品そのものではなく、消費者の脳内に像が結ばれた昇華価値だからです。


本稿を執筆中の現在、2021年5月15日は、前年から世界中を巻き込んだコロナ禍の影響で、まさに不況の谷底を皆が怯えて見つめている「正念場」です。

日本はコロナ禍の起きる前から長年にわたり経済の停滞に苦しんできました。株価が上昇してきたのは日本銀行による異次元金融緩和と株の購入によるわけで、景気浮揚では決してありません。

そんな時代のマーケターはどうすればいいのでしょうか?
これまで8稿にわたり紹介してきた、梶さんが20年前に「広告の迷走」で熱く語ったブランディングの必要性は、たった今この国で当時より尚いっそう高まっているのではないかと思います。

ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔の巻、は本稿で締めることとします。
梶さんの峻烈な批判と助言教示に感謝。

*1:アメリカ合衆国経営学者、マーケティング理論家、コンサルタントである。専攻はブランド戦略。カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール名誉教授、電通顧問

*2:原文ではMost brands don't die of natural causes. They commit suicide.

其の52 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑦〜

f:id:brandseven8:20210507161739j:plain中長期的な視点でのブランディングをするに障壁となる、日本の組織的な問題について、梶氏は伊藤邦雄・一橋大学名誉教授の名著「コーポレートブランド経営」から以下を引用しています。

環境変化が従来とは比較にならないほど不連続で不透明な時代には、ミドルに権限を委譲した経営スタイルは限界を露呈する。
そもそもミドルはリスクの大きい提案はできない。
トップこそが未来の姿を構想し、自ら変革のイニシアティブを取らねばならない。
ミドルや委員会から発案させて、社内のコンセンサスを作ってから進めるという手法は、スピードという点でも問題である。今こそ、トップマネジメント主導の企業変革が不可欠なのである。

どうでしょうか。この本が上梓されたのは2000年です。
この稿を書いている今は2021年5月、21年の隔たりがあるのに、今の日本の企業や政府が抱えている問題と何ら違いがありませんよね。なんてことでしょう。😅

グローバル経済循環系が当たり前になった現在2021年では、そのミドルマネジメント主導の象徴のようなPDCAにのっとったマーケティングは決定にいたるスピードが遅く時代遅れだと言われています。

現場⇄中間管理職で練りに練った案をマネジメント上層部に上申、多くは差し戻し・練り直し工程に。
これではPDCAサイクルのPの部分で既に多くの時間を費やすことになり、世界が競争相手のグローバル・スピード経営の時代にはとても勝ち残れません。

PDCAの進化系として近年よく話題になるのが、OODAというサイクルです。ウーダと読みます。オーダと読みたい気がしますが。そんなことはさておき。

これはObserve (観察) Orient (方向づけ) Decide (意思決定) Act (実施) の略です。Planはどこに行っちゃったんでしょうか? 

私見ですが、PlanはActに内包されていると思うんです、OODAのループの場合。サントリーの創業者の鳥井信治郎氏の口癖であったと伝えられている「やってみなはれ」、これだと思うんです。

観察フェーズで市場動向やら競争状態を見極めて、方向性を定めたら、これでいこうという経営判断をし、そこからは一気にプラン作成と素早い実行・・・これでないとスピードが出ないでしょう。


元々PDCAは工場などの生産現場で生産効率を上げるための改善サイクルとして考え出された手法なので、マネジメント経営判断には不向きなのかもしれません。

特にOODAではDのDecideが肝なのではないかと思います。これこそ経営判断です。

ちなみにブランディングは、企業の中長期にわたるマーケティング意思を反映するものであり、もっと言えば企業の志の写し絵です。トップマネジメントがコミットすべき領域です。「コーポレート・イメージのキャンペーンは宣伝部に任せてある」なんてことではダメなんです・・・と先述のネスレのマウハー元会長も言っています。(・・・はずです☺️)

梶さんの言った「アドバタイジング」をブランドという言葉に置き換えると、今まさに蘇るその意味と書きましたが、実は氏は「広告の迷走」の終盤になって、真意を詳らかにします。以下要約引用します。

ここまで20世紀の日本の広告の道を間違えさせた「躓きの石」について確かめてきたが、実はもう一つ「隠しテーマ」があった。本書の全編をつらぬく通奏低音である。それはブランドなのである。
20世紀の我が国の広告がおかしくなった理由をひとつだけ上げるとしたら、それは広告主や広告専門家にブランドの意識が全く欠落していたことである。
日本の広告が中途半端で、どこかヘンなのは、「商品を売ること」にこだわるあまり、ブランドという長期的な視点と戦略を欠いて、近視眼的なタクティクスに振り回された結果であると思えた。テレビCMが抱えている問題の背後にも、ブランド意識の欠如が見え隠れするし、新聞広告の危機の真の理由もブランド意識の欠落と無関係ではない。

氏が本を書いた2000年初頭は、ブランド・エクイティ、つまりブランドを企業の資産価値としてみる考え方が
マーケティングの世界を席巻していて、この事に以下のように触れています。

いまさら正面切ってブランドのことを取り上げるのは「お前もかぁ」と言われそうなので、ここまで文中ではできるだけブランドという単語は使わないことにしブランドを語ることにしてきた。

なるほど、それで梶さんは「アドバタイジング」という単語を頻繁に書いていたんですね。

本書が書かれてから20年が経ちました。
「中途半端で、どこかヘン」と梶さんが指摘して止まなかった日本の広告は変わったでしょうか? 「商品を売ることにこだわるあまり」中長期的視点でブランドをつくることをしない・・・こんな状況ではもう無くなったのでしょうか。

残念ながら、20年前と何ら状況は変わっていないようにしか思えません。失われた20年ですね。バブルの時からと数えるなら40年? 

しかし、諦める必要はないと思います。

コロナ禍で経済が減速し、不況がくるのではないかとの不安が高まる中、梶さんが注目していた「不況の時こそブランドを守れ」というテーゼについて、次稿は書きたいと考えます。

其の51 ブランドを語った偉人たち~梶 祐輔 ⑥~

f:id:brandseven8:20210430162754j:plain梶氏は著書「広告の迷走」の中で、広告はアドバタイジングとプロモーションに切り分けられるべきで、アドバタイジングは社の長期的な意思を示し消費者からの共感を得て共に成長するもの、プロモーションは短期的な営業目標を達成するその時限りの戦術的施作である、と力説しています。

氏がアドバタイジングと表現している箇所をブランディングという言葉で置き換えると、氏の主張は執筆時から19年を経た今日現在でも、極めて核心をついています、と以前の稿(其の46 )で書きました。

プロモーション目的に好都合で、アドバタイジング (ブランディング)に不向きな、15秒TVスポットという短い媒体が広告投下の主流になった事によって、日本の広告は迷走してしまった、とする氏の主張は、30年以上を広告ビジネスの最前線に身を置いていたプロとして、残念ですが同意します。

さて、本稿ではこの「15秒TVCM犯人説」☺️と並んで、氏が大きな問題として取り上げていた点を紹介したいと思います。

それは日本企業の組織としての特徴です。

以下、少し長くなりますが、「広告の迷走」から要約引用します。

目先のことしか考えない広告
何回もいうが、この国の広告は目先のことしか考えない。頭の中には「販売戦略」との緊密な連動だけ。ことに新発売商品のキャンペーンづくりの現場では、広告を「経営戦略の一環」としてとらえるという発想はまったく無い。

ひとつには企業の委託を受けている広告会社の責任である。広告会社のプロたちは、短期間に目に見える成果を出さなければライバルに出し抜かれてしまうという潜在意識に突き動かされているから、近視眼的にしか広告を考えない。

世界には、長期的な経営戦略と連動したユニークな広告で成功を収めている企業がいくつもある。その面で日本企業の遅れが目につく。

それらの世界のエクセレント・カンパニーには共通点がある。
ひとつは、広告を重要視していること。
もうひとつは、大企業であっても企業のトップマネジメントが全ての広告を自らコントロールしているということ。
ボトム・アップのデシジョン・メーキングを当然のこととする我が国では、トップマネジメントが広告に関与することは考えられないことである。
けれども日本の広告の迷走は、じつは広告のコンテンツを決定する権限をトップがミドル・マネジメントに移譲したときからはじまった。
その時から、広告は長期を先取りする透視力を失ったのだ。

トップマネジメントが広告を重要な経営マターとして考えてい、自ら関与するというのは、西欧系外資系企業の広告を長くやっていた自分の経験から言って、本当です。

本当ですが、グローバル企業の本社のトップマネジメントが世界の数十ヵ国以上の国の広告を、梶さんの言うように「全て自らコントロールする」のは不可能です。

正確にいうと、トップマネジメントは広告の「てにをは」の細部に関与するのではなくて、商品・サービスの「上位概念」、つまりブランディングを決め、その敷衍がブレないようにコントロールするんです。その意味で、西欧グローバル企業の重要視しているのは、一つ一つの広告ではなく、不変的なブランディングです。

世界最大のグローバル食品企業ネスレの本社CEOを1980年から17年間務め、在任中に売り上げを3倍近くに増やした伝説的な経営者ヘルムート・マウハー*1の言を、ネスレを良く知る百瀬伸夫元電通副社長*2が著書「優れたグローバル企業の経営者に学ぶ・人を大切に育てる経営」で紹介しています。

それぞれの国のネスレ法人の社長に全権を持たせている。
私は現地法人の業績を上げるために、現地の消費者のニーズに沿った商品を開発製造し、現地の文化を理解し、現地の人の心をつかむ広告を中長期の視点で考えることが大切だと考えている。
その意味でネスレにおいて『広告は社長の仕事である』と考え、これを徹底させる努力をしている。

マウハー氏の言を少し解説すると、現地広告をつくるのは現地法人の社長の仕事として全権を委任するが、それがネスレ本社が「グローバル・ブランド」とする商品であるならば、本社の定めるブランディング・ポリシーに沿うことが求められているんです。
まさにTHINK GLOBALLY, ACT LOCALLYですね。

グローバル・ブランドって例えば、日本人がよく知っているブランドではNescafé、Kit Kat、MAGGI、MILOがそうです。それぞれにBrand Guidelineがあります。

ネスレには2000を超えるブランドがあり、売上が1,000億円を超えるブランドも30近くあるそうです。

さて「広告のコンテンツを決定する権限をトップがミドル・マネジメントに委譲したときから日本の広告の迷走が始まった」と指摘した梶さんは手を緩めないんです。😭

現実に広告のハンドルを握る宣伝部長氏は「長期的な視点は意識して将来のことも考えて広告を決めている」と仰るかもしれないが、社内人事異動で2、3年で交替する宣伝部長が言う「将来」とは何年先のことなのか。3年、5年?それではあまりにも近未来。

舌鋒鋭い梶さんの言を紹介していたら、なんか頭が痛くなってきました。本稿はこの辺で・・・☺️

日本企業に特徴的なこの組織的問題についての梶さんの持論は、次の稿に続けたいと思います。

*1:1927〜2018。 ネスレの名誉会長。ドイツ・アイゼンハーツ生まれ。

*2:1933〜2020。電通で営業幹部を務めたのちに海外事業を牽引した。

其の50 ブランドを語った偉人たち〜梶 祐輔 ⑤〜

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SONYWalkman TVCMより(1987)

 

なかには素晴らしい15秒スポットもあるのだ

 

 ここまで、ぼくは日本のテレビコマーシャル、なかでも15秒スポットに対して、悪口雑言の限りを書きつらねてきたのだが、もちろん、この国には、鮮烈で、感動的で、一度見るといつまでもアトを曳く、すばらしい15秒スポットCMも、数はそう多くはないけれど存在する。そのことを書いておかなければ、ぼくは、ものを知らないやつ、といわれてしまうだろう。

 

 1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災がおこった。いちめん瓦礫の山と化した神戸の街に、被災地をとりまく関西の各地に、ひとつのCMが流れた。それは被災した人びとや、それを支援するボランティアや、被災地からのあ、あまりにも悲惨な情報に動転したふつうの人たちに勇気を与えた。

 

 

 

  梶祐輔氏は著書「広告の迷走」で、公共広告機構阪神淡路大地震後に緊急に作成した一本のテレビCMをこのように紹介しています。

 そのCMがこれ。

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  これはCM制作チームが被災地を実際に歩いて回って、実際にぶつかったシーンを素材に取り上げたものなんです。

  梶さんが批判してやまないタレントCMと対極にある、「水自由に使ってください」という文字が書いてある張り紙と、おばちゃんの声(おじちゃん?)だけがタレントの役割。タレントどころか、人間の姿も一度も映し出されていない。

 

  「しかしこのCMは、何と人間の温かさに満ちていることであろう。たくさんの視聴者のハートをとらえただけでなく、たぶん非常にたくさんの人たちを善意の救援活動に駆り出したであろうと思われるCMだった。」と梶さんは絶賛しています。

 

  データはないんですが、実際に救援活動をおこなう街のひとや、近隣からのボランティアの動員効果があったのではないか、と思うんです。できることは何かないか、と気持ちが動きますよね、このCM観てると。

 

  CMはシリーズで、こんなのもありました。構成は同じ。張り紙と人の声だけ。

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  阪神淡路大震災の時の「水自由に使ってください」CMは、実は以前紹介したキンチョーのCMを数多く作った「面白CM制作梁山泊」、大阪電通の人呼んで「堀井チーム」の手によるものなんです。人の気持ちを揺さぶり感動させる真面目なCMも作れるんですよ。😂

 

  「震災支援・井戸水」編という、このTVCMは後にACC全日本CMフェスティバルのグランプリを受賞しました。

 

 

   この「井戸水」編に続いて梶さんが紹介しているのがSONY ウォークマンの猿が主人公のTV SPOTです。

  まずはそのCMをご紹介します。

 

 

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  1987年のTVCMです。

梶さんのこのCMの讃えっぷりを要約引用します。

 

  ソニーウォークマンの「猿」。このCMは、湖のほとり、ウォークマンを聴きながらじっと立ちつくしている一匹の猿の映像が素晴らしく美しい・・・

ナレーションがいう。

音は進化した。

ひとはどうですか。

新世代、ウォークマン誕生

 

  このCMはおしゃべりではない。

商品についてはほとんど何も語られていないが、どんな饒舌にもまして、伝わってくるものが多いのである・・・

 

  猿のチョロ松以外に、有名タレントが登場することもない。それでいて、このCMは大ヒットし、新世代ウォークマンは、対前年比150%の伸びを示したといわれている。

 

  ではあるけれど、これを「商品プロモーションのコマーシャル」と見る人はいないだろう。

 

  これは商品の売り上げを伸ばしたけれど、それ以上に商品の「価値」を高めたコマーシャルとして評価するのが正しい。

 

  これこそロイヤリティの高い消費者の心にも確実に届く、香り高い「アドバタイジング」であると、ぼくは考えているのだ。

 

 

  このTVCMが放映された1987年というのは、まさに日本がバブル景気に浮かれていた時代です。地価が以上高騰し(この年に銀座で1坪1億円を突破しました。)「財テクブーム」という言葉が流行り、某生命保険会社が財テクの一環でゴッホの「ひまわり」を53億円で落札して世を驚かせました。

 

  少し後、バブル崩壊の直前にはこの時代の極め付け、総括のようなスタミナドリンクのTVCMが世に流れました。今これを見るとかなりブラックな感じがしますが、当時の空気感が伝わってきます。

youtu.be

 

  このバブルの最中にSONYが放映した新WalkmanのTVCMは、静謐なトーン&マナーで逆に極めて異色で目立っていたという記憶があります。

 

  タレントは使っていない、余計な売り込み文句も言っていない・・・と梶さんが絶賛したCMです。

 

  実際にCMに出ている猿は「チョロ松」という、周防猿まわしの会に所属していた、まぁいわばお猿さんタレントなんですが、CMでは一猿☺️として出ているんで、タレントCMではありませんね。

 

  引用文にあるアンダーラインしたコメントが梶さんの考えを伝えてくれています。

これこそロイヤリティの高い消費者の心にも確実に届く、香り高い「アドバタイジング」であると、ぼくは考えているのだ。

 

   「アドバタイジング」を「ブランディング」と置き換えると、一気に梶さんの言わんとしていたことが見えてきます。

 

  人を共感させて、好きになってもらうこと、動かすこと、これがブランディングなんだ、と梶さんは言っているのです。(・・・のはずです。ご逝去されていますので確かめようがありませんが。)

 

  書いていていま気がつきました。梶さんの名著「広告の迷走」の表紙、裏表紙ともにビジュアルは猿でしたが、これは梶さんの無意識下にこのSONYの猿のCMがあったのではないでしょうか。

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  自ら紡ぎ出し続ける空虚な言葉の海に、自縄自縛され溺れている広告人を、その迷走を、冷たく静かに見つめている猿・・・山ほどの苦言をタイトル「広告の迷走」と、このビジュアルひとつで語らせている・・・クリエイター梶さんの見事なブランディングです。

 

  ちなみに梶さんが推したこのSONYの猿のCMは、実は同著中でやはり氏が見事な「アドバタイジング」と高評価したサントリーのトリスウィスキーのCM(雨と子犬)を作った仲畑貴志さんの作品なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其の49 ブランディングを語った偉人たち~梶 祐輔 ④~

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前稿で、日本の広告をダメにしたのは制約のある15秒TVCMという形態と、
其の短い秒数でインパクトを最大限にする為にほとんどのTVCMがタレント依存型の
ものになってしまった、とする氏の批判を紹介しました。

タレントCM*1の何が悪いと氏は言っているのか。

最大の問題点として氏が指摘するのは、商品ではなくタレントが中心になってしまう事。
そして、タレント契約が終了すると、往々にしてタレント効果で商品を買っていた消費者がタレントとともに去ってしまう、と氏は力説しています。

以下要約引用します。

大物タレントを起用したコマーシャルでは、商品に関わる情報が必要以上に二の次になり片隅に押しやられてしまう傾向が強い。

有名タレントのなかにはイメージの固定化を恐れて同一スポンサーと長期間契約をする
事を好まない輩(原文ママ(・・;))も多い。広告主の側にもタレントは使い捨て(原文ママ😭)
という意識が強い。人気が落ちればたちまち切ってしまう。(アイドルタレントを次々と変える)
「タレント・サーフィン」を繰り返している企業はいったい何を考えているのだろう。

・・・それでもタレントCMが減らないのは、それで商品が売れることがあるからである。
タレントの力であることは認めなければならない。しかし、視聴者が購買を決めるモチベーションは「あのタレントが出ていたCMの、あの商品が欲しい」ということに
尽きるのである。

其の時視聴者は、商品の効用・利便・特長を理解しているわけではない。商品名、
会社の名前すら覚えてないことがある。それでも「あのタレントの、あの商品」は
売れることがある。そういう意味では、タレントは頼りになるセールスパワーである
といえよう。だが、そういう売れ方を、僕らはほんとうに歓迎すべきなのか。

歓迎すべきかどうかは置いておいて、企業の立場で言えば、タレントが頼りになる
セールスパワーになるのであれば、とても有力な選択肢の一つなんです。

梶さんの辛辣な指摘はもっともであります。でも、スーパー、コンビニで売られる消費財の例で言うならば、実際に市場には競合商品があふれてい、流通は分かりやすい商品支援プロモーションを品揃えに加える条件として求めてくる。そんな状況下、短期間でオフテイクを上げなければ、ひと月で棚落ちです。コンビニに至っては、本部で全国の週販をオンラインで管理追跡していますから、
売上がたたない新製品は数週間のイノチなんです。

背に腹は変えられない、ってことなんですね。😂 
中長期視点では、ブランディングをしていかないと長生きするブランドはつくれない。その通り!
でも、長生きを考えるまえに、今日明日、来週、今月を生き抜かないと、長生きする前に死んじゃうんです。ほとんどの企業は、今を生き抜くことに全集中なんですよね、実際は。

ここはアタマが痛いところです。中長期の視点が大事なのはよく分かる。でも明日を生き抜かないと、未来がない。

某食品外資系企業のフランス人男性マネジメントが昔私に繰り返し言いました。
「有名タレント(彼らはcelebrity と言ってました) を広告に使うのは二つの大きなリスクが伴う事を十分承知しておく必要がある。ひとつは、タレントの人気のボラティリティ(上昇下落)やスキャンダルが商品の売り上げに影響を与えること、そしてそれは我々のコントロールできるものではない事。
そして、もう一つ。Vampire Effectだ。」

Vampire Effect・・・直訳すると吸血鬼。。。
なんかマーケティングの話にそぐわない怖い感じですね。

要するに、こういうことなんです。

有名タレントは、吸血鬼が血を吸うように、消費者の注目という栄養分を自分に引きつけてしまう。
商品にではなく・・・

当時、広告会社で缶コーヒーのマーケティングを担当していて、常に人気ランキング上位にいるタレントさんをCMで使っていたので、マネジメント氏から折りに触れて、そのVampire Effectの話を忠告として聞いていたんです。氏はブランディングの信奉者でしたから、この辺りは嫌ってほどご指導を受けました。(当時はホントに嫌になりましたけど。😂) それもあって、その缶コーヒーのCMはいわゆるタレントCMの皮を被ったブランディングCMに設計しました。その話はまたいずれしたいと思います。

次稿では、「15秒TVCM犯人説😂」を唱えた梶さんが認めた2本の15秒TVCMについて書きます。

*1:タレントの持つ個性、インパクトに主に頼っていることを表現する言葉としてよく使われています

其の48 ブランディングを語った偉人たち〜梶 祐輔 ③〜

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広告の迷走 梶 祐輔 著(宣伝会議 2004年発売)
<梶 祐輔 氏は「広告の迷走」の原因を作ったのは、極めて日本的な15秒TVコマーシャルという
広告表現形式であったと断言しています。

梶氏の辛口批評を要約引用します。

テレビコマーシャルは広告主数社が、或る番組を買切り、その中にCMを入れるのがオーソドックスな方法。

それ以外に番組から番組の間の空き時間帯を利用して放送される時間帯を利用するスポットCMという方法がある。

このスポットCMは15秒が主流*1である。

15秒という時間はあまりに短い。この時間に起承転結を展開できるわけがない。

この極端に短い時間を克服し、必ずヒットする発想が必要となった。

スポットCMは一本だけ放映してもインパクトが薄い。一週間に何十本、何百本と大量にオンエアする「集中スポット」という打ち方が出来て、ヒットの法則となった。

何百回という反復視聴に耐えられる表現が求められることになる。

発想を萎縮させる短時間という制約を受けて、この国のテレビコマーシャルは世界でも例のない独自の発展をすることになる・・・

 高度成長を邁進する「ものづくり」日本では、企業の開発力が進化して製品の品質に大きな差がなくなり差別化が難しくなってきました。

 大量に市場投入される数多の新製品を、短期間に短い尺のTVCMを大量投下する即効性のあるマーケティング
必要となりました。

 製品に優位性のある大きな差(小さな差を見出して、それに意味を深化拡大していくというやり口は日本では無視されました。このことについては改めて深掘ります) はないと知っている企業は、TVCMが短期間で視聴者の記憶に残る「ヒット」することを求めたんですね。

 その為に企業と広告代理店はタッグを組んで必勝法 (それで必勝だったか、極めて疑問ですが)を編み出しました。それは有名タレントをCMに起用することです。

 その辺りを氏は以下のようにバッサリと断じています。

ヒットを狙う為に、日本のCMは有名タレントを使うことに「逃げた」。

99%が有名タレントを使ったTVCMだそうだが、その理由はいくつもあげられる。
1) 日本人の無類の有名タレント好き・・・CMの洪水にうんざりしている視聴者への拒否反応を減じるドアオープナー機能
2) 「商品に差はない。だから広告で差をつけよう。」方式でのタレントというレッテル効果
3) 友達や家族の中での話題喚起という話題増殖性 (バズりやすいということですね、いま的に言うと)
4) 流通チャネルに対しての営業サポート
5) 社内での意見をまとめやすくする
・・・
もういいだろう。とにかく有名タレントを使ったCMは良いことづくめ、だから広告代理店はタレントCMを売り込んで
きたのだし、広告主は当然のこととして受け入れてきた・・・

日本のコマーシャルに詳しい外国人クリエイターの友人は我が国のTVCMの構造を「タレント、そしてトツゼン、ショウヒン」
と言って冷やかす・・・
タレントCMは、この国の広告主にとって、ほんとうに利益になっただろうか。それは日本の広告に何かを与えただろうか。


 さて、梶氏の叱責文から少し離れて、氏から諸悪の根源呼ばわりされていた15秒TVCMについて少し深掘りたいと思います。

 海外生活をしたことのある人ならわかるはずだけど、TVCMというのは30秒が普通なんです。


 日本だって、TV番組の提供スポンサーが打つTVCMは30秒なんです。これを「業界」はタイムと呼びます。

 一方で15秒TVCMはスポットと呼ばれます。Spotという英語は点、斑点、少量を意味します。

 番組の放送の形式は、キー局と呼ばれるメインとなる放送局 (通常は東京局ですが)が制作したものを全国の系列地方局に配信して放映します。番組内のスポンサーCMはこの系列地方局に同時に一気通貫で放映されます。

 例えば、TBSの場合、全国にJNNネットワークと呼ばれる系列28社があります。TBSがオンエアしたスポンサーCMをHBC北海道放送でも福岡のRKB毎日放送でも同時に放映しています。

そしてスポットCMは基本的にステーションブレイクと呼ばれる番組と番組の間の時間に放映されるものなんです*2

 ステーションブレイク(業界ではステブレと呼びます)、この時間は切り替えのタイミングであり、地方局独自編集の番組はこのステブレを挟んで放映されます。したがって、このステブレで放映されるスポットCMは地方局毎に放映する性質のものなんです。

 番組内CMではないので、本数も時期もavailableであれば自在に調整ができます。TBSにしてもステブレで放映するスポットCMは東京単、東京ローカルです。

 そういうわけで、15秒TVCMは短期決戦のプロモーション効果を狙うには好都合なんです。

 テレビ番組の提供スポンサーは最低でも、業界用語で言う「ワンクール」、3か月をコミットする事が条件です。

 企業の新製品導入キャンペーンのTVCMは、一週間から三週間程度のものが多く、「集中スポット」を投下しますので、必要に応じて地方局のステブレのスポットの購買を積み上げていくのです。

 多額の予算を投下して、短期的に成果を上げる事を必要としているわけですから、企業側としては15秒に詰め込めるだけのメッセージを詰め込みます。それが人情です。社情というべきですかね。☺️わかります。

 広告製作側の本音は「そんなに詰め込んでも、覚えてもらえませんよ。」なんですけど、広告代理店は企業の意思を忖度することマックスですから、そんなことははっきり言いません。

ご存命なら梶さんに大叱責をされそうですが、
それが実態です。

続きは次回に。

*1:スポット枠には30秒もありますが、本数は少なく、単価が高いので通常は15秒枠が売買されます。

*2:番組内に放送されるPTという枠もありますが、基本はSB、ステーションブレイクです