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前稿ではTOYOTAのフラッグシップ車種のクラウンについて書きました。
このクラウンの登場から2年後の1957年、日産自動車とのちに合併するプリンス自動車が富士精密工業と名乗っていたときに生産を開始した日本の名車がスカイラインです。
スカイラインは2021年今日現在も健在でいる車種ですが、日産車の中で唯一プリンス時代から残っている車種名だそうです。
スカイラインはその後一般車として進化していきますが、1964年日本グランプリGTクラス出場に焦点を合わせて、レース参戦責任者の桜井真一郎氏*1が陣頭指揮をとって仕上げたレース用の車がスカイラインGTです。通称スカG(スカジー)と呼ばれました。生産されたのは100台のまさに限定車です。
第二回日本グランプリで一時ポルシェを抜いて先頭に立ったこの俊馬のような車を是非売ってくれという声が相次ぎ、日産は翌1965年にスカイライン2000GTの量産に踏み切ります。
スカイラインはその後3代目へとモデルチェンジを経て、
いよいよ(私的にいよいよなんです。😀)ケンメリで世に知られることになる4代目へとモデルチェンジを果たします。
4代目C110型は1972年に登場しました。
4代目はリアが楔形をしていて太いC ピラーが特徴的な実に先進的なデザインの2ドア・ハードトップ*2で、驚きました。
そしてこの4代目のスカイラインGTのTVCMがそれまでに見たことのないようなおしゃれなCMで、これにも驚かされました。
まずはそのCMを。
youtu.be
mkMONOOKI チャンネル
この頃は私は16歳。高校1年生でした。
まだ車を買う年齢ではありませんでしたが、本格的男女交際に入る前夜、このCMが見せてくれたケンとメリーのカップル*3のスライス・オブ・ライフは、まるで洋画の1シーンを観ているようで、憧憬の極致だったんです。
CMに登場するハーフ*4が過ごすシーンに「こういう風になりたいなぁ。こんな彼女がいたらいいなぁ。」と憧れたもんです。
当時の消費者のメイン層は今と違って欧米コンプレックスが強い世代でした。若者はロミオとジュリエット*5を観てレナード・ホワイトニングとオリビア・ハッセーの悲恋にため息をつき、恋のメロディ*6 のトレイシー・ハイドとマーク・レスターの二人に自分とガールフレンド(いたんです。😀)の姿を投影したりしていました。白人ファーストの時代だったんです。
このスカジーのブランディングについて考察してみたいと思います。スカジーは、私がクラウンに感じた遠い日を夢見るような羨望ではなく、できるなら今すぐにでも欲しい、ゲットして彼女を横に乗せてドライブに行きたいと「切望」した記憶が鮮明です。リピドー刺激というか、なんというか。
クラウンのブランド価値が「いつかはクラウン」に代表される「夢かなう」憧憬(私見です)とするなら、スカジーのブランディング価値は「すぐに彼女をゲット」できる小道具を所有する欲の充足(これも私見です☺️)だったのだと思います。
もちろん「技術の日産」と評価された日産プリンスの総力を結集してつくられていたスカGは、車の性能的に秀逸なものがあり、車に詳しい人から高評価を得た名車であることに疑問の余地はありません。
でも、このスカGの広告では、性能・特徴にフォーカスするUSPアプローチを取りませんでした。
そうではなくて、この車を持つことによって実現されるであろう、恋の予感をブランディングの昇華価値に設定したのです。それまでに見たことのないような独特のフォルムと相まって、スカGの魅力は光り輝いていました。
自分では所有することはできませんでしたが、竹馬の友が大学に入ってから買った車がスカイラインGTでした。
会社を経営するオヤジからバカボンが買ってもらったというわけです。
この友人がまさにこの「ケンメリ」のCMに激しくリピドー刺激をされて親をねだり倒して買ってもらったんですね。
当時の若者は皆「スカジー」と言っていましたが、友人はこのスカジーをまさに、ガールフレンドをゲットするための魔法の杖、魔法の絨毯、ゲームで言えばドラクエの呪文メラゾーマのような、絶大な効果があると盲信してたんですね。
空手黒帯の友人は、見かけは豪胆を絵に描いたような男でしたが、実は結構クヨクヨするたち。
ガールフレンド候補が現れると、まずはデートコースをシュミレーションして、私ともう一人の男親友をドライブに誘うんです。言ってみれば予行演習ですね。
軽井沢などあちこちに行きました。
彼の頭の中にはケン(彼)とメリー(未来のガールフレンド)が浮かんでいたはずです。シュミレーションで女子が喜びそうな店の見当をつけていました。メモも取っていましたね、確か。
当時はネットなんか影も形のない時代。ぐるなび、なんか勿論ありませんから、全て実体験と知り合いからのリアル口コミです。
スカジーを保有して、CMに出てくるようなメリーさん的ガールフレンドをゲットできた若者はどれほどいたんでしょうか。メリーさんとまではいかなくても、現実に彼女をつくれたひとも少しはいたのでしょう。
私のかの友人はシュミレーション奮闘虚しく、できませんでした。全く。
そんなわけで、私はスカジーのケンメリCMが作り上げたブランディングがいかに効力を発揮したかを、右往左往する友人を見て目撃していたんです。
実に昭和の名ブランディングのひとつでした。